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佐藤信之「交通、再考」

東京メトロ、幻の有楽町線北上線…都内で許可申請済みなのに実現していない唯一の路線

文=佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師
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 東京メトロは、都内と千葉県内に195kmの路線網を広げているが、ネットワークのなかで1カ所、免許・許可申請したものの実現していない区間がある。

 半蔵門線を錦糸町方面から南下すると、次の住吉駅でほぼ90度方向を変える。ホームは2層で、それぞれ半蔵門線のホームの対面に使用されていないホームが出来上がっている。現在は、夜間の電車の滞泊に使用しているだけである。本当ならばこのホームからは有楽町線の電車が発着するはずであった。

 帝都高速度交通営団(当時)は、昭和57年に有楽町線新富町~新木場間の工事に着手したが、同時に、途中の豊洲で分岐する支線・北上線豊洲~亀有間の鉄道敷設免許の申請を提出した。豊洲駅では、2面4線のホームが建設されたが、そのなかの2線が北上線の線路である。昭和63年6月に新木場まで開業し、豊洲駅の北上線のホームも電車の夜間滞泊や折り返し電車で使用された。その後ホームドアも整備されたが、今は塞がれて通路になっている。ホームドアの整備には地元自治体も費用の一部を負担しているので、北上線の着工を強く要望している江東区の意向だったのかもしれない。実際に使用された期間はごく短かった。

 そもそも有楽町線北上線は、昭和43年4月の運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会の答申第10号に、11号(半蔵門線)蛎殻町までとともに8号(有楽町線)明石町までが登載された。この答申は、東京圏の鉄道網整備の国が策定したマスタープランである。11号線は、次の昭和55年12月の都市交通審議会答申第15号では、江東区内の地下鉄網整備の目的で、終点としていた蠣殻町を箱崎町に変更したうえで、さらに清澄町を経由して深川扇島までの整備計画に変更となった。

 この2路線は、西武鉄道と東急電鉄が水面下で協議を進めていた路線で、8号線は西武池袋線、11号線は東急新玉川線(当時計画中)の都心直通路線として整備を求めていた。西武は新橋駅方面への乗り入れを要望し、その東側は大きくカーブして11号線につなぐループ線の構想であった。それが、江東区内の地下鉄網が希薄であるということで、両線とも東側に計画路線を伸ばすことになる。

 8号線・有楽町線は、昭和57年に常磐線亀有までの免許を申請するが、この時点で東武鉄道伊勢崎線との直通も想定していた。有楽町線は、西側について東武鉄道東上線との直通運転が決まっていた。昭和58年には、和光市の車両基地の計画の変更などで工事が遅れたことから、まず池袋~営団成増間を開業した。東武への乗り入れ工事は、昭和51年8月に和光市~成増間などの免許を取得して工事を開始し、昭和62年に和光市~営団成増間を開業し、同時に東武鉄道も和光市~志木間を複々線化して相互直通運転を開始した。有楽町線と東武伊勢崎線との直通運転が実現すると、東武鉄道の東西の路線網が有楽町線を介してつながるということも意味していた。

 続いて昭和60年7月11日の運輸政策審議会答申第7号では、半蔵門線錦糸町・押上経由 松戸までが新規に登載。途中住吉~四ツ木間は8号・有楽町線北上線と線路を共用する現在の計画に変わる。

 なお、千葉県は、半蔵門線を松戸で新京成に線路を接続し、さらに京成千葉線を経由して、建設中の千葉急行電鉄に直通することを要望したが、京成が標準軌であるのに対して半蔵門線はJR在来線と同じ狭軌であるので、検討の対象にはならなかった。京成の側も、別に新京成を金町まで延伸して京成金町線につなぐ計画を持っていた。

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通勤新幹線

途絶えた「常磐新線」東武直通案

 その後、両路線に大きくかかわることになるのが、現在のつくばエクスプレスの起源である「常磐新線」であった。もともと国鉄新線として計画された。

 ここで常磐新線が立案された経緯を整理すると、昭和30年代に東京への人口の集中が続き、社会インフラの不足もあって都心部が過密化して混乱した。これを是正するために政府の機能の移転が検討され、昭和38年に研究機関の筑波山麓への移転の閣議了解となる。あわせて都心にあった東京教育大学も移転して筑波大学となったことで、開発名称も「筑波研究学園都市」となる。

 そして、研究学園都市と都心とを結ぶ高速鉄道の建設が構想された。昭和43年11月の「国鉄財政再建推進鍵会議記録」という国鉄の内部資料に、「首都圏超高速鉄道網」として新宿~筑波学園都市~水戸間のルートが記載されている。この計画には成田新幹線や東北新幹線、上越新幹線の近郊区間も含まれているが、新幹線計画自体が沿線からの反対などで停滞し、結局、成田新幹線の建設は中止になるなどして、いずれも実現しなかった。それに代わって、茨城県が昭和53年に「第二常磐線」構想を発表、昭和62年4月には第4次全国総合開発計画で、常磐新線の新設が国策として盛り込まることになる。

 平成元年に、鉄道と区画整理事業を組み合わせて鉄道整備用地を用意するという新法を成立させ、同年3月に沿線自体が出資する第三セクター「首都圏新都市鉄道」が設立された。当初は、この第三セクターは建設を担当し、運行はJR東日本に任される計画であったが、平成2年にJR東日本が正式にこれを断ることで、ルートを含めて一時混乱することになった。建設費用が巨額となるため、民営化から間もないJR東日本には荷が重いということであった。

 そこで、建設費を削減するための代案として、平成2年1月に運輸省が提示したのが、常磐新線の南流山から松戸まで支線を建設して、松戸で営団半蔵門線と直通するというものであった。常磐新線は、JR東日本による経営はなくなり、第三セクターが直営することで決定した。さらに半蔵門線との直通も、常磐新線の沿線自治体の反対で消えた。南流山からの都心方向の沿線は、新線の整備が白紙になりかねないことに危機感を感じたのである。そして、最終的に原案通り、平成3年10月に現行路線の秋葉原~つくば間の第一種鉄道事業免許を申請して、翌年1月10日に免許を取得した。

 そうすると半蔵門線の都心区間が宙に浮く。これに目を付けたのが東武鉄道である。北千住で常磐新線と伊勢崎線の線路をつないで直通し、半蔵門線を押上まで完成させて、北千住・押上経由の都心区間の整備を提案した。また、もともと押上では有楽町線北上線と伊勢崎線の直通運転を検討していたが、その北上線の建設が決まらないために、その代案として半蔵門線との直通に切り替えたのである。この時点で、半蔵門線は水天宮までを開業(平成2年)していた。しかし、JR東日本の経営が消えて秋葉原まで第三セクターが一体的に建設・運営することになったため、この東武直通案も途絶える。

東武と半蔵門線の直通

 ところが、平成5年に突然半蔵門線の水天宮~押上間の建設と東武鉄道との直通が発表された。平成3年バブル崩壊により、度重なる景気刺激策として経済対策が組まれた。その一つとして、半蔵門線と東武の直通が取り上げられたのである。景気対策では、補正予算が決まったところで速やかに執行できなければ意味がない。鉄道プロジェクトは、用地買収をともなうと、通常着工まで10年近くの時間がかかる。しかし、半蔵門線と東武伊勢崎線の直通については、常磐新線との直通で調査はほぼ終わっている。そこで急遽、事業化が決定したのである。

 営団は、平成5年5月18日に半蔵門線の水天宮~押上間の鉄道事業免許を申請。6月23日には免許が交付された。通常は、1カ月では審査は不可能である。東武鉄道との間での直通運転の覚書の交換は、その前5月13日に済んでいた。

 結局、有楽町線北上線は、棚上げされたままであった。東武との直通も半蔵門線で実現し、とりあえずの目的は達成された。

ネットワークのミッシングリンク

 その後の東京港・臨海部の開発は目覚ましく、総武方面からのアクセスにはこの北上線の整備が必須である。しかし、特殊法人改革の一環で帝都高速度交通営団が株式会社化(平成16年)され、国は早期の株式の上場を目指した。完全民営化すると、国と都から出ている地下鉄建設に対する建設費の6割に達する補助金が受けられなくなる。本来ならば、株式会社化しても国と都が株主なので、公営地下鉄と同様に補助対象とすべきなのであるが、地下鉄への補助金が東京に集中的に投入されることに対する地方からの批判もあった。そして、当初は、営団は半蔵門線の押上延伸を最後の新設工事とする方針を決めていた。

 ただ、上で説明したようにこの工事の決定が急であったため、平成5年度補正予算では、補助金ではなく無利子貸し付けで予算化された。しかし、後年度からは補助金の対象となり、結局無利子貸し付けは行われなかった。

 平成15年に半蔵門線水天宮~押上間は開業し、営団最後の新線開業となった。東京メトロになった後も副都心線の工事が実施されたが、これには補助金は交付されず、かわりに東京都の都市整備局がトンネルを建設し、東京メトロがこれを無償で使用することで補助金と同程度の公共側の負担を実行した。

 有楽町線北上線は、地元の江東区が熱心に整備を働きかけており、東京都も同じ認識のようである。平成28年の東京圏の鉄道整備マスタープランである交通政策審議会答申でも登載され、続いて平成30年の国土交通省鉄道局の「東京圏における国際競争力強化に資する鉄道ネットワークに関する検討会」でも対象に含められた。検討の結果、整備効果が認められ、あとに残った課題は、どこが事業を担当するかである。都は東京メトロによる整備・運行が合理的としている。

 今年の1月から国土交通省、東京都、東京地下鉄は「東京8号線延伸の技術的検討に関する勉強会」を行っているが、審議の内容は公開されておらず詳細は不明である。また、江東区は、北上線整備の実現を目指して、地下鉄8号線(有楽町線)建設基金の積み立てを行っている。平成22年から始めて現在の積立額は80億円である。

 ネットワークのミッシングリンクの解消は、その効果は事前に想定されたものを超えて広範囲にわたることが予想される。実際、東京スカイツリーのある押上地区や下町を中核として発展が続く錦糸町から臨海部に行くには、新橋で「ゆりかもめ」乗り換えか東京駅から銀座四丁目の間を歩いて有楽町線を利用する以外は、路線バスしかない。この区間の開業により、東京東部の人の流れが劇的に変わることは明らかである。

佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師

佐藤信之/交通評論家、亜細亜大学講師

交通評論家、亜細亜大学講師、Yahoo!オフィシャルコメンテーター、一般社団法人交通環境整備ネットワーク相談役


亜細亜大学で日本産業論を担当。著書に「鉄道会社の経営」「新幹線の歴史」(いずれも中公新書)。秀和システムの業界本シリーズで鉄道業界を担当。

 4月19日『鉄道と政治、政友会、自民党の利益誘導から地方の自立へ』中公新書発売。

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