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法社会学者・河合幹雄の「法“痴”国家ニッポン」第19回(前編)

大阪クリニック放火事件とガソリンという“爆発物”、そして道連れ自殺という悲惨な現実

法社会学者・河合幹雄
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 2021年12月に大阪・北新地のビルに入居するクリニックで、28名が死傷(うち容疑者を含め死者27名)した放火事件は、社会に衝撃を与え、海外でも大きく報じられた。また、近年では2019年7月に発生した京都アニメーション放火殺人事件や2015年6月の東海道新幹線車内での焼身自殺など、類似の手口による事件も記憶に新しい。

 これらの事件については、それぞれ動機の検証のほか、ガソリンの購入規制や列車内への持ち込み禁止などの対策が実施されている。しかし、個々の事件の真相究明や再発防止策はともかく、事件に共通する背景は、そのセンセーショナルさに反して見えづらいのが実情だ。

 法社会学者で桐蔭横浜大学法学部教授の河合幹雄氏は、「これらの事件の真相を浮かび上がらせるためには、凶悪犯罪の側面よりも、自殺の側面に力点を置いて考える必要がある」と語る。

 司法と犯罪のプロは事件をどう見るのか? 自殺の側面に注目することで、どういった背景が見えてくるのか? それは今後の類似事件を防ぐ手がかりとなるのか?

 本連載では、前後編の2回にわたり、大阪クリニック放火事件とその類似事件の背景(前編)、そして犯罪被害者およびその遺族へのケアの実態と、今後社会がとるべき施策(後編)を取り上げ、事件について掘り下げていきたい。

 戦後2番目となる27名もの死者を出した大阪クリニック放火事件、そして類似事件に共通する背景と、それらの事件が我々に伝えるものとは――。

【後編はこちら】

大阪クリニック放火事件とガソリンという“爆発物”、そして道連れ自殺という悲惨な現実の画像1
放火事件の現場となった精神科クリニック(大阪府大阪市北区曽根崎新地)。犯行時刻は、2021年12月17日10時20分頃と見られる。(写真:毎日新聞社/アフロ)

大阪クリニック放火事件は「凶悪犯罪」ではなく「道連れ自殺」と考えるのが妥当

――2021年12月に発生した大阪クリニック放火事件は、その凄惨さと死者数の多さから、犯罪史に残る事件となったと思います。また、近年では京都アニメーション放火殺人事件や東海道新幹線車内での焼身自殺など、類似事件も目につきます。これらの事件を俯瞰したとき、なんらかの共通する背景や、それを踏まえた再発防止策などを見いだすことはできるのでしょうか?

河合幹雄 おっしゃる通り、大阪クリニック放火事件は史上まれにみる大事件ですし、お亡くなりになった方の冥福を祈るとともに、怪我をされた方の回復を願うことは論をまちません。そして、この事件を見て「凶悪犯罪」として断じてしまうのも無理からぬこととは思います。しかし、この事件の真相を浮かび上がらせるためには、犯人を凶悪犯罪者としてではなく、むしろ“自殺志願者”とみて考えていく必要があるだろうと私は考えています。

 少し粗い議論になりますが、刑罰の意義を考える「刑罰論」という学問があります。そこでは刑罰の目的を「一般予防」、すなわち人々を刑罰の抑止力でもって犯罪から遠ざけるとする考え方があります。この考え方に立ったうえで、大阪クリニック放火事件を「凶悪犯罪」と捉えてしまうと、類似事件の再発を防止するためには厳罰をもって臨むべし、という結論が導かれてしまいます。もちろん本当の刑罰論においては議論はここまで一元的ではなく、刑罰の目的はもっと多義的であり重層的なものであるとされているのですが。

 しかしともかく、刑罰による抑止力によって今回の事件を本当に防ぐことができた、いい換えれば、今回の事件は刑罰の抑止力が足らなかったから発生した、という分析は妥当でしょうか? おそらく多くの方は、この分析に違和感を覚えると思います。

 大阪クリニック放火事件の犯人は、自殺を考えるなかで、自分の「仲間」であるクリニックの通院者を道連れにしようとしたと考えられます。遺書なども残されていたということですから、殺人と自殺という見立て自体にはまず間違いはないでしょう。そうすると、本人はそもそも死のうと思っているわけですから、いかなる厳罰をもってしても犯行を食い止めることはできない、ということになります。

 当たり前の話のように聞こえるかもしれませんが、刑罰というのは、犯人に今後も生き続ける意思があることを大前提としています。死ぬことを目的としている犯人には、いかなる刑罰も抑止力としての意味を持たないわけです。これは、理屈としてはだれもが理解するところですが、いざ実際の事件を目にすると、ついつい見落としがちな点です。大阪クリニック放火事件や類似事件の真相を考えるにあたっては、そうした視点を持つことが不可欠なのです。

【前編】大阪クリニック放火事件とガソリンという“爆発物”、そして道連れ自殺という悲惨な現実の画像1
ガソリンは本来、“爆発物”と考えるほうが妥当なのではないか?(写真はゲッティイメージズより)

ガソリンという極めて危険な“爆発物”と、「声かけ」という一見意外な“犯罪抑止力”

――では、大阪クリニック放火事件を「自殺」という側面に注目して考えたとき、何が見えてくるのでしょうか?

河合幹雄 まず、手段であるガソリンやその他凶器の規制によって事件を防ぐことはできない、あるいは相当な困難がともなう、ということが挙げられます。たとえば、ガソリンを例に考えてみましょう。ガソリンは少量でも、着火すると爆発的に燃え上がることが特徴です。今回の大阪クリニック放火事件では、戦後2番目となる27名もの死者を出しましたし、類似事件である京都アニメーション放火殺人事件に至っては、戦後最多となる36名の死者を数えています。海外の例を見ても、自殺志願者の男が地下鉄の車内でガソリンを撒いて火をつけた大邱(テグ)地下鉄放火事件(2003年、韓国)では、死者数が192名に達しています。しかし、だからといってガソリンの購入を禁止することは、事実上不可能でしょう。ガソリンは、まさにその強い爆発力ゆえに、自動車をはじめとする現代社会システムに緊密に組み込まれているのですから。

 そうすると、どのようにして今後の類似事件を防げばよいのかという話になりますが、実は結局のところ対策としては孤立・孤独を防ぐことが肝要で、これはそのまま自殺防止対策と重なります。しかも犯罪学的にいえば対策の根本は極めてシンプル。コミュニティ論や社会構造論というような大上段に構えた論を持ち出す必要はなく、単に「犯人と話をする」ことこそが鍵となるのではないかと考えられます。

 もう少し詳しく説明しましょう。この「犯人と話をする」の狙いはひと言でいうと、「犯人を我に返らせる」ことです。今回の大阪クリニック放火事件、あるいは類似事件を見ても、おそらく犯人は、当日目を覚ましてから犯行に至るまで、誰とも口をきいていないと思います。そうした環境のなかで、煮詰まった犯行への思いの最後の1ピースが埋まり、凶行に至ってしまう。いい方を変えれば、犯行現場へ向かうべく家を出た刹那、近所の人に「あら、どちらにお出かけ?」とひと言でも聞かれ、世間話のひとつでもすれば、少なくともその日は凶行に及ぶことはないでしょう。案外人間とは、そういうものなのです。まさか犯人が「ちょっとガソリンを撒きに」などというはずもありませんし、ひとしきり世間話をしたあとに気を取り直して犯行に、といった行動も考えにくいですから。

 過去の事件を見ても、殺人や放火といった凶悪犯罪に着手した犯人が、被害者の血や燃え上がった火を見て我に返り、被害者の手当てをして救急車を呼んだり消火活動を始めたりするといった例は、枚挙にいとまがありません。そもそもそうした凶悪犯罪を行う際の犯人や、まさにことに及ぼうとしている自殺志願者は、かなり興奮しており、犯行に関連しないものは一切目につかず、また頭にも浮かばないような状態になっています。そこでほんの少し外部から我に返らせる手助けをしてあげる、それだけでも十分実効性のある対策になるでしょう。

【前編】大阪クリニック放火事件とガソリンという“爆発物”、そして道連れ自殺という悲惨な現実の画像2
月別自殺者数が最も多くなることから、3月は「自殺対策強化月間」。国、地方公共団体、関係団体等が連携し、自殺予防・対策の啓発活動を推進している。(画像は厚生労働省のホームページより)

犯罪統計がドライに示す、「凶悪犯罪が増えている」との認識の誤り

――自殺の側面に注目して考えた際の対策が「犯人と話をする」、それも世間話や挨拶をするといった極めてソフトなものであることには驚かされますが、確かにそういうものなのかもしれません。ところで、近年大阪クリニック放火事件のような事件が増えているような印象があるのですが、この点についてはどのようなことがいえますか?

河合幹雄 こちらについては拙著等で折に触れてお伝えしている通り、「体感治安」と実際の統計上の治安状況との違いを意識して考えていく必要があります。体感治安とは、人々が治安をどのように捉えているか、という概念です。警察庁が最近公表した『令和3年の犯罪情勢』によれば、5000人を対象としたアンケートで、ここ10年の日本の治安の傾向について、回答者の64.1%がネガティブな印象を抱いています。一方、実際の統計はというと、2021年の刑法犯認知件数は56万8,148件となっており、2002年以降続く減少傾向を更新し、戦後最少となっています。

 このように、大阪クリニック放火事件をはじめとするセンセーショナルな事件が報道されるなかで、一般の人々が治安の悪化を感じるのは無理からぬことかもしれませんが、実際の統計は、その印象とは大きく異なっています。報道の見方は人それぞれですが、統計に照らせば、現在の日本において治安はかつてないほど保たれており、そうした情勢下で、自殺志願者の道連れとして引き起こされる今回の放火事件のような、手を尽くしても防止がなかなか困難な犯罪だけがまだ残っており、そうした“レアケース”が全体の印象を決してしまっている、とみるのが理にかなっているのではないでしょうか。

――今回のような、“自殺の道連れ”のような事件を防ぐのは困難とのことですが、それでも犯人の傾向など、なにかしら抑止の手がかりになるようなものはあるのでしょうか?

河合幹雄 いわゆる無差別殺傷事件の犯人については、『犯罪白書』の作成などを行っている法務総合研究所が2013年に報告書をまとめています。これは無差別殺傷事件の犯人52人を対象とした調査で、無差別殺傷事件の犯人の特徴について「総じて,周囲との活発な人間関係がなく,社会的に孤立した中で,困窮型の生活を送っていた者が多いと言え,これらの生活状況が,無差別殺傷事犯者が抱いていた閉塞感,不満等の一つの要因となっていたと考えられる」と分析しています。こうした報告からもわかるように、孤立・孤独を防ぐことが、無差別殺傷事件を防ぐ手がかりとなるのではないでしょうか。

 ただし、この報告書は一方で「重要な点は,これらの特徴に当てはまる者が直ちに無差別殺傷事件を引き起こす者ではないということである。無差別殺傷事犯は,その結果は重大であるが,あくまでもまれに発生するものであって,これらの特徴に当てはまる者であっても,無差別殺傷事犯に及ぶ者は非常に少ない。したがって,学業・就労,交友関係,性格,精神障害等を始め,幾つかの特徴に当てはまる者に対して,いたずらな偏見を抱くことは厳に慎むべきである」としている点も見逃せません。犯人の傾向を事件抑止のかすかな手がかりにすることはできるかもしれませんが、先述した通り、そもそもそうした事件自体がかなりのレアケースです。事件を引き合いにして偏見を助長するようなこともまた、決してあってはならないという点も強調しておきたいと思います。

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 ここまで、大阪クリニック放火事件を自殺の側面に注目して考えることの重要性、そしてそこから見出される対策や、体感治安と実際の統計との相違について整理してきた。

 一方で、不幸にして実際に犯罪が起こってしまった場合、被害者やその遺族へのケアもまた、見落としてはならない課題である。現在の日本において、そうしたケアの実情はいかなるものであり、また今後どのような進展が期待されるのだろうか?

 本連載の後編では、犯罪被害者およびその遺族へのケアの実態と、今後社会がとるべき施策について掘り下げていく。

【後編】に続く

(構成=青木 隼)

河合幹雄

河合幹雄

1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。

Twitter:@gandalfMikio

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