アベノミクス第一の矢の「大胆な金融政策」を実行すべく2013年3月に日本銀行総裁に就任した黒田東彦氏の10年の任期が切れる。同年4月に打ち出した異次元緩和と呼ばれる「量的・質的金融緩和」は多くの市場関係者の度肝を抜く、文字通りの「大胆な金融政策」であった。
異次元緩和のマジックナンバーは「2」である。2年で2%物価目標を実現すると宣言し、このためマネタリーベース(日銀が供給するマネー量)を2倍、長期国債・ETF(上場投資信託)の保有額を2倍、長期国債買入れの平均残存期間を2倍以上に延長する、といった具合で冗談かと勘ぐりたくなるくらいの「2」のオンパレードだった。
びっくりしたのは為替市場だった。金融が緩和された通貨は下落するのが常識、一時は1ドル70円台をつけていた円が100円台に戻し、2014年10月に「バズーカII」と呼ばれる第2弾の異次元緩和を発表すると、125円まで円安が進行していった。円安だと輸入物価が上がるので、インフレ率も1.5%まではするすると上昇したが、安定的に2%インフレを実現するには円安ばかりには頼っていられない。
その時、ある経済指標に目が止まった。円安進行でも輸出数量が全然増えてこないのだ。円安は日本製品の価格競争力を高めるので輸出(数量)が伸びるはずだが、そうならない。その答えは産業空洞化である。すでにグローバル化と異常な円高が続いたことで日本企業の海外への工場移転が想像以上に進行していたのだった。この結果、日本の供給力が落ちているので円安の輸出刺激効果は薄いのも当然だ。これでは金融緩和を起点として円安、輸出増加、生産増加、労働需給の逼迫、賃金上昇、インフレ、消費拡大、設備投資拡大、成長率の上昇といった好循環メカニズムが働かない。
当時、ある機会に産業空洞化が2%物価目標を阻んでいると日銀に意見したことがあるが、日銀は聞く耳を持っていなかったばかりか、「中央銀行がインフレ目標を実現すると決意すれば、必ず実現するのです」と言われてしまった。論理的に説明するというよりは、2%物価目標の実現をひたすら信じこんでいたようだ。あれからもう10年近くになるが、結果は見ての通りである。
黒田総裁より柔軟だった安倍元総理
異次元緩和の継続でも2%インフレは実現できず、日銀の国債保有残高は22年末で564兆円と国債発行残高の実に5割超を占め、長期金利の上昇による評価損に怯えなくてはならない事態を招いてしまった。金融政策は潜在成長軌道から外れた経済を元の軌道に戻す短期的な政策である。いつまでもダラダラと緩和を続けると副作用が大きくなる。本当は2年くらいで見切りをつけて、「日銀としてやるだけのことはやった、あとは政府にバトンタッチしますよ」と言うべきだったように思う。
ただし、異次元緩和を全否定する気はない。異次元緩和のおかげで日本経済三重苦の1つだった異常な円高が止まったことは、景気マインドの改善につながったし、事実、日経平均株価が3万円台まで回復したことでバブル崩壊以降の企業のバランスシート改善に大いに貢献したのは事実である。
しかし、黒田総裁が2%のインフレ目標に固執するあまり、国債を異常に買い続けたことは後継の植田総裁に大きな負の遺産を残したといえる。黒田日銀が金融政策の役割に照らして、もう少し2%物価目標を含めて柔軟に対応しておけば良かったのにと思う。安倍元総理が『安倍晋三回顧録』のなかで「最も重要なのは雇用です。2.5%以下の完全雇用を達成していれば、物価上昇率が1%でも問題はなかったのです」と述べているところをみると、安倍元総理のほうが黒田総裁よりずっと柔軟だったのである。
(文=中島精也/福井県立大学客員教授)