PC市場では、ハードウェアはコモディティ化(均質化)していき低価格競争へと突入する一方で、ソフトウェアとマイクロプロセッサというプラットフォームを握ったウィンテル連合(マイクロソフトとインテル)が覇権を握ったことは周知のとおりだ。それと同様に、最終的にユーザーをダッシュボードのOSプラットフォームを提供するグーグルやアップルなどが握り、EVというハードは誰でもつくれるコモディティ化が進む可能性があるのだ。
ビル・ゲイツの気づき
では、いかにしてビル・ゲイツはOSの下請けからパソコン市場の覇者となれたのだろうか。
その歴史を紐解くと、「戦略的経営者」がいかに長期的な視点で業界全体の未来を予測しながら、今現在の経営判断を行っているかが理解できる。それこそ筆者がプラットフォーム戦略思考【註1】と呼ぶものだ。
残念ながら日本企業の経営者、特にメーカーやコンテンツ提供企業の経営者と話していると、「良いものをつくれば売れる」という「メーカー思考」を信じたい人は依然として多い。実際にヒット商品が生まれることで業績が急拡大する経験をしているからだろう。しかし、残念ながらヒット商品の効果は長くは続かない。常にヒット商品を生み出し続けることが必要なのだ。
もっとも、あの天才スティーブ・ジョブズも元々はメーカー発想の強い経営者のひとりだった。ジョブズはアップルを一度追放され、復帰してからiPodやiTunesという大ヒット商品とプラットフォームを成功させるまで、約20年間プラットフォーム戦略思考について懐疑的だったといわれている(詳細は次稿)。
一方、米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツは、かなり早い段階でプラットフォーム戦略思考の重要性に気がついていた。そして、1980年代にはコンピューターメーカーの巨人だったIBMから、その覇権を奪い取ることに成功した。
では、ゲイツは具体的にどのようにして、それを成功させたのか。歴史を振り返ってみよう。
時代を見通す力と、巧みな契約交渉術
マイクロソフトは、まだコンピューターが研究所や大企業向けの高額な大型装置であったメインフレーム全盛期、IBMから個人向けPC用のOS開発依頼を受けたものの一旦断った。そしてOSを開発していたある企業をIBMに紹介した。しかしその企業もIBMの依頼を断ったため、再びマイクロソフトのもとに依頼がきたのだった。