マック、世界的没落を招いた「誇り」と「自己満足」 有効な危機回避策を自ら捨てた愚行
ジョージアや綾鷹のテレビコマーシャルを見ても、日本コカ・コーラの社名は表示されない。自動販売機で買う時に、コカ・コーラと綾鷹が一緒に陳列されているのを見ても、綾鷹を日本コカ・コーラが製造していると知らない消費者はたくさんいるだろう。
コカ・コーラ社は、こういったブランドポートフォリオ戦略が実行できる。世界各地の消費者が要望するブランドを開発すればよい。だが、ライバルのペプシコーラを販売しているペプシコのグローバルでの炭酸飲料水の売り上げに占める割合は、すでに半分以下になっているが、コカ・コーラ社はいまだに75%もある。世界市場、特に先進国における価値観が変化してきているというのに、コカ・コーラ社の反応は遅い。やはり歴史の重みと、それからくるプライドが邪魔をしているのだろうか。
コカ・コーラ社は今、世界市場でコカ・コーラ生誕100年を象徴する広告を展開している。確かに、筆者を含めて一定以上の年齢層にとっては、この広告に登場するエルヴィス・プレスリーやマリリリン・モンローがコカ・コーラを飲んでいる写真は、それなりにノルタルジックな感情を喚起する。
だが、将来の売り上げを託す世代にとって、エルヴィスやモンローは過去のスターだ。「これ誰?」という反応を示す若者も多いことだろう。あの広告キャンペーンは、コカ・コーラ社という企業が、自分自身のプライドを満足させるために展開しているキャンペーンにしか思えない。
100年間、米国の象徴であり続けた誇りを抱いているだけでは、価値観の変わった世界市場、特に先進国市場に対処していくことはできないだろう。
マクドナルドは変化を恐れている?
そして、それはマクドナルドにも同じことがいえる。
前回記事で見てきたように、マクドナルドは06年前後に、それ以前の90年代末から進めてきた多様化のためのM&A(合併・買収)を無駄にするかたちで、チポトレ・メキシカン・グリルやボストンマーケットといった人気を集めている新しいタイプのファストカジュアルレストランの持ち株を売却した。それはハンバーガービジネスに集中するという名目のもとに取った戦略とされている。
マクドナルドは、コカ・コーラ社ほどではないが75年の歴史ある企業だ。歴史とプライドが、ここでも変革の妨げになっているのだろうか。マクドナルドと別れたチポトレの創業者は、サスティナビリティ(持続可能性)に関心を持ち、「良質な原材料を使うという考え方は、加工した材料や冷凍した材料を使い、生産性一辺倒の機械化されたプロセスを採用するファストフードの企業文化とは相容れなかった」と言っている。また、「『ドライブスルーを採用したらどうか』といったようなマクドナルドのアドバイスにノーを繰り返しているうちに、両社の軋轢は大きくなった」とも分析している。
価値観や企業文化が違うブランドを傘下に収めるからこそ、異なる価値観を持つセグメントが乱立する世界市場でも全体として売り上げを伸ばしていくことができる。自分たち親会社とは異なる価値観を持った子会社やブランドの個性を認めて管理していくことは、忍耐と理性を必要とする非常に難しい仕事だが、将来に向かって大きく成長する可能性を広げることにつながる。
そのように判断できなかったのは、やはり歴史に裏打ちされた誇りだろう。いや、変化への不安なのかもしれない。
だが、例えばフランスのマクドナルドは、米国のマクドナルドとは異なる方針でチェーンを経営している。朝食には、フランスパンにジャムとコーヒー、あるいはクロワッサンにカフェオレ。また、食材も地産地消の考え方で、抗生物質や成長ホルモンを使っていない高品質の肉が提供されるという。郷に入れば郷に従うということなのだろう。
いずれにしても、文化が異なる国だからとはいえ、同じマクドナルド・ブランドで、これだけの個性の違いを認めることができるのなら、なぜチポトレやボストンマーケットも同じように管理運営できなかったのだろうか。
(文=ルディー和子/マーケティング評論家、立命館大学教授)