日立・三菱重工事業統合で遅れをとった、東芝事業再編の行方
(「東芝HP」より)
ビッグビジネス同士の事業再編に背を向けているのが東芝だ。事業をシャッフル(再構築)する「選択と集中」では東芝は日立より先行していたのに、どうしたわけか。
選択と集中とは、複数ある商品や事業部門を絞り込み、絞り込んだ商品や事業に人材を集中することによって競争力を高める経営戦略のことである。
1980年代に世界最大のコングロマリット(複合企業)、米ゼネラル・エレクトリック(GE)のジャック・ウェルチCEO(最高経営責任者)が選択と集中を実践し、GEの業績を飛躍的に向上させたことから流行語になった。ウェルチCEOはそれぞれの市場で1番か2番に入らない事業は利益を出せないとして、撤退や他社への売却を決めた。選択と集中のポイントは、成長事業の買収と不採算事業の売却にある。
選択と集中のスター経営者が東芝会長の西田厚聡氏であった。パソコン分野で頭角を現し、85年にノート型パソコンを初めて売り出した。90年代にはノート型パソコンがデスクトップ型を超えると予測し、ノート型パソコン、ダイナブックに経営資源を集中した。2003年には赤字を出していたパソコン事業を、1年で黒字に転換させたことで知られる。
05年6月に社長に就任してからは「今後はエネルギー事業が急成長する」と考え、米原子力プラント大手、ウェスチングハウス(WH)の買収を決断する。WHと古くから取引関係にあった三菱重工業がM&A戦線の本命と見られていたが、06年2月、東芝は市場関係者の想定をはるかに超える6200億円という高額の買収価格を提示。最終コーナーで三菱重工を抜き去り、買収に成功した。
西田氏は、半導体と原子力発電を経営の2本柱に掲げた。東芝は総合電機だが圧倒的にナンバーワンといえる分野はない。選択と集中を進めた結果、半導体は国内首位で世界第3位、原発は世界首位に躍り出た。西田氏の経営手腕は高く評価された。
2011年3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故が大きな転換点となる。
半導体大手のルネサスエレクトロニクスは、茨城県の主力工場が被災し、業績の悪化に拍車がかかった。そこで官民共同で、“日の丸半導体”の再編に向けて動き出した。東芝とルネサスの半導体部門を分離して新会社を設立。新たな製造会社には官民ファンドの産業革新機構が出資するシナリオだった。
赤字を垂れ流しているシステムLSIの生産工場を海外のファウンドリー(半導体受託製造会社)へ売却することをめぐって、東芝がファウンドリーが欲しがっている最新鋭生産ラインを出し渋った(売ることに難色を示した)ために、事業統合が流れたといわれている。