日本の恥さらし・東京五輪組織委 能力・資質・熱意のなさが、デザイン問題連発の元凶
理念やビジョンがないために起こった必然的迷走
今回の相次いだ迷走の要因は、ひとつはコンペを開催した側の人たちにも、デザイン選考に携わった人にも、どのような五輪にしたいかという理念やビジョンがなかったこと、さらにプロジェクトをマネジメントする能力が不足していたことだったように思います。
新国立競技場のデザイン案は、環境との調和をどう図るのか、また開催後にも残る遺産として、どのような存在であるべきかが問われていたはずでした。
しかし、収容人員や屋根を付けるなどの物理的条件と予算だけでコンペが開催されたのです。そして背景となるテーマも、コンセプトがないままコンペが実施され、結局は唐突に出てきた「躍動感」という感覚的評価で決定してしまいました。まるで、奇をてらい、莫大な費用をかけて目立つことを競い合う、途上国の建築計画を見るようでした。ザハ案は、デザインコンペの審査委員長を務めた建築家・安藤忠雄氏がかかわっている「緑の東京募金」、また「海の森」ともまったく整合性もなく、むしろ緑を犠牲にするデザインで、最初からザハ案ありきだったのかもしれません。
そして、佐野研二郎氏のエンブレム・デザインです。なにも伝わってくるものがありません。今日のグローバルな時代、コンピュータグラフィックスでいくらでも案を展開できる時代のなかで類似を避け、独自性やオリジナリティを追求する時代のデザインではありません。たとえ選考したグラフィック・デザイナーの人びとにその「カタチ」が評価されたとしても、広く人びとに共感され、なんらかのハートを感じてもらうデザインでなければ、シンボルの役割を果たしません。
よく「シンプルなデザインは似る傾向がある」ということがまことしやかにいわれていますが、カタチのシンプルさよりも、コンセプトのシンプルさを追求するのが今日的なデザインです。佐野氏のデザインは、いろいろ理屈は述べられたとしても、肝心のコンセプトが欠けた単純な図形を組み合わせただけの、一昔前を感じさせるデザインでした。
前回1964年の東京五輪で採用された亀倉雄策氏のデザインは、佐野氏のように苦しい説明をするまでもなく、初めて日本で開催する五輪、経済復興に成功した日本を見てもらいたいといった想いが伝わってくるものでした。
新国立競技場にしても、エンブレムにしても、いずれも組織委の側に東京五輪をどうアピールしたいかという想いがなかったゆえ、デザイン選考に評価の軸もなく、恣意的な好みに任され、選考される結果となってしまったのです。