日本の恥さらし・東京五輪組織委 能力・資質・熱意のなさが、デザイン問題連発の元凶
70年に開催された大阪万博でも、シンボルマークのデザインやり直しがありました。指名コンペで案を募りデザインを決定したのですが、元経団連会長で当時の日本万国博覧会協会会長だった石坂泰三氏が、「これでは日本が世界の上にあぐらをかいていると受け取られる」「インテリだけがわかるようなものはだめで、大衆性がなければいけない」と、鶴の一声で却下したのです。いかにも独裁的な決定だったのかもしれませんが、その直感は正しかったように思います。今回の東京五輪のデザインも、やはり広く共感を集める魅力に欠けていたのでしょう。その後にネットで広がった不満や嫌悪感が、見事にそれを示しています。
リスク感覚の欠如が目立つプロジェクト・マネジメント
デザインの選考メンバー、選考方法も疑問に感じられるものでした。新国立競技場もエンブレムも、偏った人びとだけで選考されてしまっています。そして何がリスクになるのかを読めるプロの目利きがいなかったことは致命的でした。安藤氏はご本人もおっしゃるように、新国立競技場レベルの規模のプロジェクト経験がありません。
エンブレムも、ほとんどグラフィック・デザイナーだけで選ぶというのは、あまりにも危険すぎます。やはり、類似デザインがありそうかどうか、また広く共感が得られそうかどうかの視点が欠けていました。あの案をひと目みれば、目利きの能力のあるコンサルタントなら決して選ばせないでしょうし、もし候補として選んだとしても、類似チェックを行ってからでないと最終決定はしなかったはずです。
そしていいと思ったデザイン案にチップを置いていく、いわゆる美人投票を行ってしまったことも、いかにもこういったデザインの選考に関しては素人という感じがします。美人投票では、個性的な案や、アイデアが尖った案は選ばれない可能性が高いのです。また、商標や著作権をクリアできるかどうかはその時点ではわからず、本当は消去法で絞っていくべきなのです。
しかも最初の案は商標で類似作品があったために、組織委の要請で修正したといいます。これは信じがたいことで、コンペの掟破りです。多くの人が感じているように、こちらも佐野氏ありきだったと疑われても当然です。さらに修正した結果、また類似作品が出てしまうという迷走ぶりでした。
つまり、佐野氏のデザインが盗用かどうかという問題以前に、組織委を筆頭とした関係者たちにプロジェクトをマネジメントする能力がなかったこと、また誰が責任者なのかもわからない組織の問題が、その背景にあったとしかいいようがありません。