時代の寵児だったフォーエバー21が、わずか10年で撤退した“報じられない理由”
原宿店オープンの大きな話題で、日本中の主要デベロッパー・商業施設運営会社から、出店オファーが山のように押し寄せた。出店に関するロケーション、賃料などは当然ながら好条件なものであったと推測できる。
フォーエバー21の店舗面積は、単一ブランドとしてはずば抜けた広さを誇る。当時、売り場面積の広さはSKU(Stock Keeping Unit:受発注・在庫管理を行う場合の単位)の充実につながり、売上に直結しやすかった。グローバル店舗数の増加が直接、売上向上につながり、14年に40億ドル(4,280億円)となり、米国ファッション企業としては売上高4位となった。15年には売上高が44億ドル(4,708億円)とピークを迎える。しかし、売上急増には必ず大きな影が隠れている。
グローバルな店舗展開にともなう大量発注を背景にした低コスト生産を世界中の工場に求めた結果は、どうだっただろうか。日本での顧客離反の原因は明白である。コスト追求を最優先したため、粗悪な品質の商品が増え、店舗オペレーションコスト低減のための人員削減で、床に商品が散らかることなどが常態化した。日本法人は店舗運営だけの会社であり、現場の意見が米国本社に届くことさえなかった。
日本のファッション市場は、世界で最も消費者が選択肢を多く持つ。その世界最高レベルを普通と思う消費者が、いつまでもフォーエバー21を支持することはなかった。利便性の高いECの普及やトレンドの多様化、マルチチャンネルの普及、ネット専業の価格訴求企業の成長と、フォーエバー21に対するアゲインストの風は強くなるばかりであった。
17年には原宿店が閉鎖され、18年には世界各地で不採算店の閉鎖が始まった。しかし、米国内の売上は依然としてZARAを上回り、H&Mに次ぐ規模であった。
3.報道されない裏側
報道されない要因のひとつに、消費者のサスティナビリティ(永続性)への意識変化がある。13年4月にバングラデシュのダッカ近郊の商業ビル「ラナ・プラザ」崩壊事故が発生し、縫製工場の女性従業員が1,127名死亡、2,500名以上が負傷する大惨事となった。価格に固執するファストファッション企業からの強い価格交渉が、工場に適正な利益をもたらせずに悲劇を生んだとして、世界中の企業が反省し、そして企業の在り方を問われた。