日本はとっくに“製造業の国”“輸出主導型経済”ではない…認識の欠如が経済停滞の原因
日本におけるGDPの支出項目をみると、1960年代と1970年代は設備投資の比率が高く、GDP全体の3割以上を設備投資が占めていた。説明するまでもなく、一連の設備投資の多くは輸出産業向けのものであり、製造業による設備投資が経済成長を支えていたことがわかる。
「現実」と「昭和脳」のギャップ
当時の日本は旺盛な設備投資需要があり、銀行は資金の確保に苦労していた。このため、東京の虎ノ門界隈に次々とオフィスビルを建て始めていた森ビルですら、製造業を優先する銀行の方針で融資を断られることもあったという。
しかしバブル時代から徐々に設備投資の比率が下がり始め、現在では、個人消費と政府支出の比率が顕著に上昇している。90年代までの政府支出は景気対策による公共事業が牽引していたが、その後の政府支出増大は、いうまでもなく、年金や医療に対する国庫支出の増加なので、基本的に社会保障費である。
つまり日本は、製造業による輸出主導型経済から、個人消費や政府支出を軸にしたコンパクトな成熟型消費国家にシフトしている。
消費を原動力にしなければ成長できない仕組みに経済が変わっているにもかかわらず、多くの経営者、労働者、政治家が昭和型の大量生産モデルの価値観から脱却できていない。現実の経済構造と認識のギャップこそが、日本経済を低迷させている最大の要因である。
日本の経済構造に基本的な問題があるため、量的緩和策といったマクロ的な政策を実施しても効果が半減するのではないかという指摘は、実は量的緩和策を実施する前から出ていた。日銀の白川方明前総裁もこの問題について何度も会見で取り上げていたが、十分に議論されたとはいいがたい。
日本では、「これしかない!」といったフレーズに代表されるように、ひとつの方策ですべてを解決できる(と期待させてくれる)派手なマクロ政策にばかり注目が集まり、地道な諸改革がおざなりにされる傾向が顕著である。根本的な制度疲労を放置したまま、量的緩和策や財政出動といったマクロ的な施策を実施しても、その場限りの効果で終わってしまうのは、ある意味では当然の結果といってよい。
日本ではどういうわけか、現実の政策という分野においても、マクロ経済政策と個別の施策が完全に分断されており、総合的な議論ができない環境にある(マクロ政策に付随して個別の施策を提示すると、「マクロとミクロを混同すべきではない」といった、アカデミックな議論と政策議論を混同した意味不明な批判を受けることも多い)。