しかし、もし英国海外市民を破棄して中国国籍だけになってしまったら、現在の香港の体制が大きく変わった場合に、海外に移住できる可能性が限りなく低くなってしまうので、彼はイギリス国籍を持ち続けていたのです。
一方、アシスタントの女性はどうしてオーストラリア国籍だったかというと、彼女は香港が中国に返還される直前に、家族とオーストラリアに移住したのです。そして、返還されたのち、香港の生活が変わらなかったのを確認して、香港に戻ってきたのです。しかし、副指揮者の彼と同じく、香港の状況が変わったらいつでも海外に出られるように、せっかく取得したオーストラリア国籍を手放すことはありません。
実は、1997年の香港返還の直前は、こういう富裕層の家族は多かったのです。たとえば、香港と同じく英語圏で、当時は移民を広く受け入れていたカナダには、いつ没収されるかわからない資産を持った香港人がどんどん移住し、特にバンクーバーは香港人でいっぱいになりました。そこまでせずに香港残っていた人でも、財産を海外に移す富裕層は多く、僕が2000年にロンドンに移住してアパートを探していた当時、香港在住の家主の賃貸物件がたくさんありました。
香港、大転換期に突入か
さて、そんな香港のオーケストラは、楽員の半分は欧米人で、最高責任者も欧米人です。街中に繰り出しても、イギリスのスーパーマーケット、デパート、レストランと、僕はロンドンから飛んできたにもかかわらず、今どこにいるのか混乱する思いがしました。ガソリンスタンドも、普段僕がロンドンで利用しているブリティッシュ・ペトロール(英国の主要ガソリン会社)でしたし、欧米人が引っ越してきても、すぐに落ち着いて生活を始められそうです。
そして何よりも、香港国際空港からはロンドンをはじめ世界の各地へ、まるで路線バスのように航空機が頻繁に飛んでいます。つまり、欧米と同じ生活水準を保ちながら、同時に欧米人が大好きなエキゾチックなアジアを謳歌できるのです。香港は、そんな夢のような街でした。当時、世界の経済市場の興味が中国に移ってきたこともあり、欧米のジャーナリストは、アジアの拠点を東京から、英語も不自由なく通じる香港に移転していました。