「内部統制が不十分!」と言うほど、ますます内部統制が不十分に…企業監査の矛盾
監査対象になると、そのような「形式的対応」を加速させてしまう。そうなると、肝心の「実質的な有効性」は置き去りにされてしまう。
小学校での英語“教科化”との共通項
先日、小学校で英語の補助教員をしている方から考えさせられる話を聞いた。
小学校では2011年度から5・6年生に対して英語が必修化されている。必修化されてはいるものの、「英語に親しむ」ということを目的としているので、テストの対象にも成績を付ける対象にもなっていない。それが20年から英語が「教科化」されることとなった。教科化されるということは、テストが行われ、成績が付くようになるということだ。
そのことを、補助教員の方は非常に心配していたのである。
現在は成績が付かないので、子供たちは非常に楽しんで英語を学んでいるという。学んでいるという感覚もなく、英語を使うことをただ楽しんでいるといったほうがいいかもしれない。それは、補助教員自身が経験してきた中学校以降の英語の授業とはまるで異なる雰囲気だというのだ。子供たちはみな興味を持って一生懸命英語で話そうとする。だから上達も早い。
成績を付す対象になったら、そういう雰囲気がなくなってしまうのではないかと心配しているのだ。確かに、成績の対象になれば、子供たちは“正解”を求め、間違うことを恐れ出すだろう。そうなれば、英語を話さなくなる。何より、点数を取ることが自己目的化し、いかに効率的に点数を取るかということに関心が向く。ネイティブがまず使わないような奇妙な問題も出題され、塾はその対策を行うようになるだろう。中学お受験の科目にでもなれば(当然その可能性は高いが)、その傾向はますます加速されることになるだろう。
そうなれば、子供たちは英語を楽しむことを忘れ、あっという間に大量の英語嫌いをつくり出すことになるだろう。いい成績が取れたとしても、「学校の成績はいいが、実際には使えない」ということにもなりかねない。試験対策と実用英語は違うからだ。それでは、中学以降の英語教育で起きていることを前倒しして小学校に持ち込むだけだ。「日本人の英語力を向上させる」という本来の目的からしたら、まったくの逆効果である。
これは、内部統制が監査対象であることと共通の弊害だ。