それから、三菱電機および日立製作所から分社化したルネサステクノロジと、NECから分社化したNECエレクトロニクスの経営統合によって10年4月に設立されたルネサスには、自動車メーカーの資本はいっさい入っていなかった。だから、いくらマイコンが自動車メーカーにとって必需品だといっても、復旧のために、勝手にドカドカと乗り込み、作業を進めるわけにはいかなかった。
豊田は、自工会の総意として、ルネサスの復旧に取り組むことを志賀に提案したのだ。豊田も、放置すれば日本のモノづくり神話の崩壊につながるという危機感を共有していた。むろん、志賀に異論はなかった。
志賀は、旧知の日立製作所社長の中西宏明に直接、電話をかけた。志賀は、中西に次のようにいった。
「中西さん、自動車会社の身勝手かもしれないけれども、ルネサス一社のために日本中の工場が止まっているんですよね。お役に立つかどうかはわかりませんが、復旧を一緒にやらせてください」
中西は、「わかりました」と応じた。志賀は、すぐに豊田に電話をかけて結果を伝えた。この志賀と豊田のホットラインなくして、ルネサスの早期復旧はありえなかっただろうし、そもそも各社の足並みは揃わなかっただろう。
ルネサスの復旧作業には、トヨタ、日産、ホンダ、デンソーなどの自動車関連企業のほか、キヤノンや経産省などがオールジャパンで取り組んだ。支援に携わった人員は、延べ8万人にのぼった。復旧作業は、予定より2カ月以上早く終わった。当初7月に一部生産再開とされていたが、4月23日にテストランができた。そして、6月1日には生産を再開した。
自工会内に設置された「サプライヤー支援対策本部」は、部品メーカーの支援を終えて、6月30日に解散した。
震災で成長力を鍛え上げた日産
さて、日産のいわき工場の自動化ラインでのエンジン生産が再開されたのは、5月17日だ。当日はカルロス・ゴーンがいわき工場を訪れ、早期復旧を実現した従業員たちを称えたことは、前回記事で触れた。
志賀は6月下旬、いわき工場を訪れ小沢にこういった。
「あのメンバーと社宅で一緒に飲みたいんだけど、ここらへんで一番いい寿司屋を教えろよ、奢るから」
翌日、社宅の集会所に20数人が集まった。寿司に舌鼓を打ちながら、盛り上がった。