燃費データ不正問題を受けて三菱自動車工業の益子修会長は、「三菱御三家」の三菱重工業・宮永俊一社長、三菱東京UFJ銀行・小山田隆頭取、三菱商事・垣内威彦社長との「4社会」に臨んだ。4社会は、2000年代前半にリコールで揺れた三菱自の支援策を協議するために設けられた会議の名称だ。
この会合で益子氏は「日産自動車からの34%の出資受け入れる」と述べた。実質的に、三菱自を日産へ身売りする案だが、御三家はこれを受け入れた。
リコール隠しが相次いだ際、30%超を出資していたダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)が提携を解消、資本を引き揚げた。三菱自の資金繰りが逼迫し倒産の危機が迫ったため、御三家は計6000億円の優先株を引き受けて三菱自を支えた。
支援スキームを主導したのは三菱重工だ。三菱自は1970年4月に三菱重工の自動車部門が分離してスタートした。三菱財閥の創業100周年事業としてグループ内に自動車会社をつくったのである。
三菱重工にとって三菱自は直系の会社であり、潰すわけにはいかないとの思いがある。三菱重工が音頭を取り、「オール三菱」の体勢で三菱自を救済した。
しかし、今回は違った。間接保有分も含め20%を出資する筆頭株主の三菱重工は動かなかった。「動けなかった」というほうが正しいだろう。満身創痍の三菱重工は、自社の立て直しで精一杯で、三菱自動車を支援する余裕はまったくなかった。三菱自の問題は、三菱重工の苦境ぶりをあらためて浮き彫りにした。
6月24日の三菱自の株主総会後、日産は開発担当の副社長、三菱東京UFJ銀行は副社長兼最高財務責任者(CFO)を送り込み、三菱商事からは4月に三菱重工に入社した常務執行役員が海外担当の副社長に就く。だが、三菱重工は新たに常勤役員を派遣せず、宮永氏が社外取締役として入っただけで、三菱重工出身の青砥修一常務も退任する。
豪華客船の累積損失は2375億円
宮永氏は4月25日、客船世界最大手の米カーニバル傘下、アイーダ・クルーズ向けの大型客船2隻で、新たに508億円の追加損失を計上すると発表した。その席上で、見積もりの甘さをこのように吐露した。
「大型客船をつくるノウハウを熟知していなかった」
客船建造は、長らく不振が続いた造船ビジネスの牽引役になるはずだった。02年に「動くホテル」と呼ばれた豪華客船ダイヤモンドプリンセスが、長崎造船所で建造中に火災事故を起こし、その後は客船の受注が途絶えていた。