椎名さんの足跡を振り返っておきたい。1985年東京都練馬区生まれ。日本大学生物資源科学部に進学したが、農場実習を契機に、日本の食を子供たちに伝える仕事を志して退学。山脇学園短期大学食物科に入学した。栄養士と栄養教諭資格を取得し、卒業後は栄養士として練馬区立の小学校に5年間勤務した。
この時期に給食のメニューを一新した。それまでは生徒の嗜好性に合わせて、ハンバーグやシチューなどファミリーレストランで出るような洋食が多かった。それを健康増進に向けて、ご飯、味噌汁、旬の魚や野菜料理など和食に切り替えたのだ。全校生徒に対して食材やメニューについて説明し、「和食を出す意味を刷り込みました」(椎名さん)という。いきなりの変更に、保護者や教員から異論は出なかったのだろうか。
「メニューを変えたことへの反論などは、1カ月で消えました。子供の健康に良い和食を出すことは絶対的な正義ですから。保護者からは『家で魚や野菜を食べるようになった』などの反応をいただくようになりました」(同)
その取り組みは、赴任4年目に勤務先の小学校が東京都から健康づくり功労賞で表彰されるほど成果を上げた。ところが、共働きの保護者からショッキングな現実を聞かされる。
「夜の給食ってないのかな?」
そう口にした保護者は、子供に学習塾の休み時間に食べる夕食の費用を渡しているのだが、食べているのはファストフードかコンビニ弁当か、あるいは菓子パンである。椎名さんに尋常ならざる危機感が芽生えた。
「思い」だけで起業へ
「給食に和食を出して健康づくりに取り組んでいても、夕食がファストフードかコンビニ弁当か菓子パンではなんにもなりません。きちんとした食事を知らないまま大人になって、さらに親になったら大変なことになってしまいます。この現実を知ってしまった以上、子供を見捨てることはできません。子供の成長はあっという間なので、今すぐに動きださなければならないと居ても立ってもいられなくなって、思いだけで突っ走りました」(同)
学校を退職できる時期は、通常は3月だけである。起業の準備に一定の時間をかけるのなら、さらに退職を1年延ばさなければならないが、椎名さんには一刻の猶予もなかった。2013年3月、創業資金も営業先もなんのアテもないままに退職した。