知事=公職への「誠実さ」欠落する鳥越氏を落選させた東京都民に、私は敬意を示したい
とどめが女性スキャンダル報道への対応
自身の女性スキャンダルが「週刊文春」(文藝春秋/7月28日号)で報じられた鳥越氏は、同21日に街頭演説の後で記者団と応答をして、見解を述べた。
「裁判になったり法的な問題ですので、うかつに私の口から具体的な事実についてあれこれ言うのは控えさせてください。これはすべて、そういう問題については、私の法的代理人である弁護士の方に一任をしております。以上です」
これは、舛添要一前都知事が疑惑を指摘されて、「第三者機関」なる自費で弁護士による御用委員会を立ち上げて「すべては第三者委員会が明らかにする」と逃げ回ったのと同じ構図だ。
そもそも今回の都知事選は「舛添的でないもの」の選択、収斂として展開されていたはずである。そうだとしたら、鳥越氏はこの時点で完全にその資格を失ったと、私は考える。
「文春」の後を追って、「週刊新潮」(新潮社/8月4日号)は被害女性当人への取材録を公表している。こちらの記事についても鳥越氏はただちに名誉毀損で告訴し、事実無根だとしている。
都知事という重要な公職の候補者にもかかわらず、鳥越氏は自らの説明責任から逃走した。また、問題指摘に対して言論の開示によって対応せずに、弁護士を通じて刑事告訴したことも、ジャーナリストとしての鳥越氏の自殺行為といえる。
ちなみに「新潮」はその取材を03年に行っていたといい、最近スクープを連発してきたライバル誌「文春」の先行報道に焦って古い取材録を持ち出したともいえる。「新潮」は「文春」を凌ぐ生々しい報道を行ったのだが、そんな材料を持っていたのなら、なぜ「文春」より先に記事にしなかったのか。
被害者たちが当時記事化を望まなかったというが、「文春」は今回その壁を乗り越えて報道した。週刊誌ジャーナリズムというのは大胆な報道を先行させて世の検証を仰ぐ、そして社会大衆の審判を促すというところに真骨頂がある。「文春」は今回も「新潮」を凌いだといえる。
今回の都知事選は、調子よく後出しじゃんけんで出馬した候補者が、後出し記事による「新潮」で引導を渡された、という妙に平仄が合った構図で終わった。
鳥越氏を都知事として迎えなかった都民の選択に、敬意を表したい。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)
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