「一人負け」ホンダ社長が初激白…リコール続出の裏で、前代未聞の進化的経営革命
八郷 もともとホンダは、地域に事業主体を置き、地域やお客さまの変化を素早く感じ取って、現地で即断即決できる体制をとってきました。本社は、地域に対してホンダとしてのひとつの方向性を決めていた。
ただし、僕自身、研究所で機種開発などを手掛けてきましたが、リーマンショック前まではグローバルに地域で展開するといっても、やはり米国が大きかった。
片山 “北米一本足打法”といわれてきましたね。
八郷 どこが優先かとなれば、やはり一番大きなマーケットである北米、お膝下の日本だった。北米に求心力があって、中国やアジアには北米の商品を持っていけば商売が成り立っていましたからね。
片山 それが、リーマンショックで大きく変わった。
八郷 市場が変わりました。アジアとか中国の市場は大きくなり、北米の商品を持っていっても売れなくなった。アジアや中国などの市場を再評価しようと、伊東が舵を切って「六極体制」をつくりました。地域を強くし、地域にとって一番重要な商品をつくろうと考えたわけです。
片山 日本では軽を強化した。米ではライトトラック、中国やアジアも地域専用車を出しました。結果、中国、インドネシア、インドなどの販売台数は15年度に、12年度比でほぼ倍増しました。
八郷 その意味では、ある程度成果があがったと思っています。しかし、一方で、「アコード」「シビック」「CR-V」といったグローバル車が弱くなっていた。「六極体制の進化」とは、つまり、グローバル車が幹となり、枝葉の地域専用車を展開することです。ホンダの四輪事業の強みは、地域専用車とグローバル車の両方を持つことですからね。
従来「六極体制」を進めるうえで、ちょっと「極」のほうが強かったかなと思うんです。私が中国の担当でしたし、現本田技術研究所社長の松本宜之はアジアの担当だった。今年ケーヒン社長になった横田千年は北米の担当だった。
片山 なるほど。地域の担当者はみんな“個”の強い人だった。
八郷 地域専用車は、地域の思いが強いんです。一方で、地域はまだ“子ども”ですから、親の日本が応援しないといけない。ところが、地域が強過ぎて、日本から応援に行った人が受け身になり、開発の主体が弱くなっていた。
「六極体制の進化」によって、もう一度グローバル車を全員がしっかり売る。地域専用車は、地域のエゴばかりでなく、もう少し全体論で世界の効率を考える。そうやってリソースをうまく使わないと、電動化へのシフトなどに対応できなくなってしまいます。
片山 ホンダは地域本部に対し、本社がそれを補完する「マトリックス経営体制」を、90年代から続けています。その難しさはありますか。