一度は中国進出するが頓挫
モスは93年にヤオハングループと商社との3社で合弁企業を立ち上げ、中国に進出した。ヤオハンは90年に総本部を香港に設立、92年に日本の流通業に先駆けて北京に百貨店を開店、95年には上海にも巨艦店を開業した。モスはヤオハンのテナントとして94年から97年にかけて17店舗出店した。巨額の投資で回収に時間がかかるとみられたが、97年にヤオハンが倒産、同年12月に中国事業から撤退した。その結果、モスも撤退を余儀なくされた。この中国事業の頓挫がモスの海外展開を大きく後退させた。
この時期、厚氏が台湾事業を軌道に乗せていなければ、モスの海外事業は壊滅的な打撃を受けていたはずだ。櫻田氏は台湾に単身赴任してから足掛け5年半、91年から96年にかけて17店舗展開し、台湾事業大成功の道筋をつけた。櫻田氏が台湾のモスバーガー事業を成功させたのは、赴任後2年目には台湾語を覚え、通訳なしで現地スタッフと直接会話できるようになったことが大きい。
厚氏は94年には取締役海外事業部長に就任。モスの有力な後継候補に躍り出た。台湾から帰国して取締役東日本営業部長に就いた。そして97年5月、カリスマ創業者の慧氏がくも膜下出血で急逝した後を受けて、98年12月に社長に就いた。
海外進出を本格化
厚氏が台湾の合弁企業・安心食品服務と連携、福建省厦門にモスバーガーを出店し中国市場に再参入するのは、10年のことだった。安心食品服務は11年には台湾市場に上場し、中国本土へ1000店舗展開を打ち出した。だが、現在まで中国15店舗、香港18店舗にとどまっている。櫻田氏は18年間社長を務め、今年6月に代表権のある会長に就き、再び海外事業を担当することになった。
厚氏はもともと、「パリのシャンゼリゼ通りにあるルイ・ヴィトン本店の隣にモスバーガーを出店、モスの旗を立てたい」とよく語っていた。それによって「モスバーガーを世界のブランドに育てる」構えで、実際に海外事業の担当者に命じて店舗物件を探させていた。
そして厚氏が欧州へモスバーガーを出店させる手応えを得たのは、昨年5月にイタリアで開催されたミラノ万博に出店した店舗で、ライスバーガーの人気が非常に高く、モスの出店を望む声が多く聞かれたからだ。
そこで次回は、欧州へのモス進出戦略について厚氏に聞く。
(文=中村芳平/外食ジャーナリスト)
※後編に続く