家で簡単につくれる「究極のハイボール」…お金も時間もかけた探求の末にたどりついた答え
そのご自宅の横にあって、昼間は仕事場、夜は私的な社交場になるプライベート・バーが「サロン ド シマジ」。酒はシングルモルトのみ、葉巻(シガー)が用意され、BGMにはオペラが流れている。夜な夜な島地さん自身がマスターとしてお客を迎える。
元・東京慈恵会医科大学脳神経外科教授の大井静雄先生(私の人生の師匠)が、ウイスキーについて書かれた本『ステイタスブレイン』(講談社)を上梓された際に、編集のお手伝いをした。そのご縁で、大井先生と一緒に憧れの「サロン ド シマジ」にお邪魔した。
マスター・シマジ曰く、膨大な取材経費と私費を費やしてさまざまな料理や酒を楽しんでこられた結果、たどりつき惚れこんだのが、この「タリスカーのスパイシーハイボール」というわけだ。
マスターのおすすめの通り、どんな料理にも合う。一品一品の料理の合間で、スモーキーでピリッとくる胡椒の香りが楽しめる。同時に、次の料理のために口の中はいつもさっぱりとリフレッシュされていく。
タリスカーの歴史
スコッチの本場、スコットランドの北西に浮かぶスカイ島、岩だらけのこの島にタリスカー蒸留所はある。同じスコットランドのアイラ島には8つの蒸留所がひしめくのに対して、スカイ島にはぽつんとひとつ、タリスカー蒸留所のみがある。今から190年前の1827年に、タリスカーの創業者であるマカスキル兄弟はスカイ島に移り住む。西の海岸に近い「タリスカーハウス」の賃借権を買った。
それから3年後の1830年、マカスキル兄弟はロッホ・ハーポートと呼ばれる美しい入り江にタリスカー蒸留所を開設する。日本は幕末の頃である。当時、スコットランドのウイスキーづくりは農場の副業として盛んであったらしい。スカイ島でも、タリスカーを含めたウイスキー製造免許を持つ蒸留所が7つと、数十の無免許の蒸留所が稼動していた。以来、2世紀近い時間を経て、いまではタリスカー蒸留所だけが生き残ったのである。
マスター・シマジは、シングルモルトについて、そしてタリスカーについて教えてくれた。
「シングルモルトの熟成と人間の子どもの育成はとてもよく似ている。子どもを甘やかして適当に育てるとロクな大人にならない。シングルモルトは厳しい雨風と風雪のなかで長い間熟成されないと、琥珀色の美酒には成長しないのだ。タリスカー蒸留所が子どもなら、いわばスカイ島は厳格な父親である」