昼間は一日中、クライアント訪問か社内会議である。だからそのようなレポートの作成は、移動中のタクシーの中か深夜に行う必要がある。1日に飛んでくるメールの数も100件になるので、それに答えているだけでも仕事時間はどんどん過ぎていく。どこかで手を抜かないと全体の仕事は回らないのだが、まじめな社員ほどどこで手を抜いていいかがわからない。
つまり働き方改革の問題は、現場で起きている労働の厳しさと、上の人間が現場にいたころの労働の厳しさの中身が変わってしまったために、上の人間が現場の厳しさを理解できていないことにある場合が結構あるのだ。
現場の苦労を知る必要がない仕組み
さらに仕事の変化とは別の変化も起きている。80年代とは違って、経営者候補が横から転職してやってくるようになった。さらにはそのような経営幹部が設計する仕事をこなすのは、下請けの別の会社という状況が増えてきた。
ジャーナリストの横田増生さんが潜入して書いた『アマゾン・ドット・コムの光と影』(情報センター出版局)という本がある。アマゾンの宅配倉庫での仕事がどのように行われているのかを克明にレポートした、ビジネスドキュメンタリー本の名著である。
その宅配倉庫での仕事がどれほど厳しいものなのかは、この本をお読みいただければわかるのだが、興味深い点は、この仕事を設計したのはアマゾンの幹部社員でありながら、仕事を実行しているのは下請けの運輸会社であるという点だ。
しかも興味深いことに、アマゾンの幹部は日本の倉庫に関して一切の指揮権を発動していない。租税を回避するための手法として、アマゾンはあくまで「日本でこういう仕事をやってくれる会社はないですか?」とお願いをする。すると日本企業が手をあげて「うちの会社でそれをやります」と、クライアント企業の期待に応えるというのが形式的には現場で行われていることなのだ。
この構造になると、現場の仕事量がどこまで厳しかろうが、委託するだけの側にはその痛みはわからないし、わかる必要がない仕組みになってしまう。しかも入札競争でよりコストを絞ってくれる協力会社に委託することになる。そうしてコストが絞られるのは、現場で働いている現場従業員からということになる。
アイヒマンテスト
さて、1963年に米イェール大学の心理学者が行ったミルグラム実験というものがある。普通の平凡な市民が、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明する実験である。要は中間管理者が上司から強要されると、思考停止をして非人道的な行為も行ってしまうことを証明した心理実験だ。別命をアイヒマンテストとも言うので、ご存知の方もいらっしゃるのではないか。
このミルグラム実験のような環境状況が成立する条件は2つある。行為をする人が権威を持つ人間から非人道的な行為を強要されることと、そしてその行為がもたらす痛みを直接にはわかっていないことだ。
このミルグラム実験的な社会構造が、働く現場で起きている問題の本質である。そしてこの構造を保ったままでは、働き方改革が富の格差を解消することはない。
だから働き方改革がメスを入れるべきなのは、本当は経営者に現場の痛みを体験させる法律なのではないだろうか。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)