労働の厳しさの中身が変化している
日本企業でも1980年代当時は、当然のように幹部候補生たちは現場の苦しみを一定期間かけて体験していた。東京大学を出て設計技師になるべくトヨタに入社した新人が、工場とディーラーで6カ月勤務するのも同じ理屈だ。現場を知らない者が幹部になると会社の末端ではろくでもないことがおきてしまうのを経営者たちは知っているのだ。
今、働き方改革が叫ばれるようになっている。過労死事件が起きたいくつかの企業の現場と、80年代当時の現場は何が違うのか? ひとつ起きている変化は、現在の経営幹部が20代だったときの苦労と、今の現場の苦労がまったく違ったものになっているということがある。
「自分が20代だった頃だって、ろくに自宅にも帰ることができずに仕事仕事で明け暮れていた」と上司が言うとする。確かにその通りだったのだろう。17時を過ぎてからが営業の仕事の本番だった時代が、80年代には存在した。
営業の仕事は毎晩が接待だという職場もあった。夜になるとまずはバブリーなフレンチレストランでクライアントを接待した後、2次会は銀座のクラブに移動。3次会、4次会までつきあって、終電後のタクシーの争奪戦にも勝利してようやくクライアントを自宅へと送り出す。そこで上司から「もう一軒、反省会やるから」と言われて別のお店に出かけて、結局解放されるのは午前3時半だったりする。
それでも翌朝9時には出勤して、半分眠りながら会議に出たり、合間の時間は今晩行く予定のお店に電話して予約を確認したり、お店から来た請求書を社内処理に回したりと、昼間もやることはたくさんある。
とにかく若さと体力と笑顔で乗り切れたからこそ、20代の頃に仕事の厳しさとは何かを体感できたという当時の若手が今、50代の幹部になって会社を経営しているわけだ。そんな幹部の目には、毎日残業で家に帰ることができない20代社員がいると言われても、「昔と同じじゃないか」と思ってしまうわけだ。
しかし本質的な問題は、その中身が昔とは同じではないという点にある。同じ営業の仕事でも、現在の営業の現場では、クライアントが購入したサービスの状況がどうなっているのか週次ベースでレポートを作成して、おもわしくないような状況があれば、それがなぜ起きているのか、どのような対策を打つべきかをパワーポイントの資料としてまとめていく。そんなクライアントを、ひとりの担当者が20社もかかえている。