クラシック音楽が好きという人は多いと思うが、音楽家がどのような生活を送っているのか、オーケストラがどのように運営されているのかなどについては、意外に知られていない。音楽が文化として深く生活に根付いているヨーロッパと違い、日本では音楽家は一般人の身近な存在として認知されていない感すらある。
本連載では、ヨーロッパを中心に世界各地のオーケストラを指揮してきた篠﨑靖男氏が、知られざる音楽の世界を紹介する。
オーケストラの仕事というのは、もちろん多くの観客の前で演奏を披露することがメインですが、放送やCD録音づくりも大切な活動となります。日本のNHK交響楽団のように、もともとは放送のためにできたオーケストラも世界中にたくさんあります。演奏会をそのまま生放送する場合もあれば、録画を後日放送する場合もありますが、作業的には同じといえます。
その点、CDも同じく“音を録る”わけですが、少し違う作業となります。時には、演奏会をそのまま録音してCDをつくることもありますし、それはそれでコンサート独特の緊張感や熱気も感じることができるので僕は好きなのですが、演奏会は一発勝負ですので、演奏上のちょっとしたミスやアクシデント、観客席のノイズもしっかりと録音されてしまいます。完璧さを要求されるCD録音では、演奏会とは別に行われることがほとんどです。
コンサートであれ、録音であれ、指揮者はオーケストラを率いるので、簡単に言えば“ボス”となります。これは、20代でペーペーの経験のない指揮者でも、80歳を迎えた老巨匠でも同じです。しかし、こと録音となると、もうひとりの人物が参加してきます。それはプロデューサーです。凄腕のプロデューサーともなると、驚くほど音楽的能力と知識が豊富で、ステージから離れた別室にこもって楽譜を眺めながら、指揮者も気づかなかったような奏者のミスをどんどん指摘し、録り直しを要求してきます。時には音楽的なことも意見してくるほどです。指揮者も従わなくてはいけない大きな存在で、録音の際には、本当のボスともいえそうです。
録音の仕事で大変なことといえば、同じ場所を何度も録り直すことですね。毎回、緊張を強いられます。何度も何度も演奏して、やっと完璧な演奏が録れただろうと思っても、たった一人の奏者のミスで、またやり直しになることもあります。楽譜をめくった時のノイズひとつでも台無しになるので、演奏以外での注意も必要になります。ミスやノイズがなく、うまくいったとしても、プロデューサーは「もっと良い演奏にならないか。もう一度!」とダメだしをしてきます。
5回、6回と同じ場所を演奏していると、正直うんざりしてくるものです。そんな状況でも、「前回とテンポが違う」「演奏に張りがない」などと、スピーカー越しに容赦なく指示が出てきます。向こうは、別室でヘッドホンをつけて音だけを聴いているわけで、ステージ上の指揮者や楽員がどんなに疲れ切っていても関係ないのでしょう。ちょっと険悪になりかけたところで「休憩!」となるので、わざと察していないふりをしているのかもしれません。