「豪華列車の旅は、しばしばクルーズ船の旅に例えられます。行き届いたサービスを受けて、豪華な設備の客室でゆっくりと時間を過ごすことができる旅。本当にその通りで、飛行機やクルマでは決して経験することのできない世界が、船の旅や豪華列車の旅にはあります。
けれども、車内で料理をつくる者にとって、状況はまったく異なっています。大きな船と違い、鉄道車両の広さは限られています。いきおい食材をストックするスペースも本当にわずかなものとなる。そのため、食堂車で働く料理人は、与えられた状況に応じて、その場その場でメニューを考えていかなければなりません。それが食堂車で働く者にとって一番難しい点であり、また腕の見せどころでもあるわけです」
東京・木場のフランス料理レストラン「アタゴール・オリエント・エクスプレス」のオーナーシェフ曽村譲司さんは、自身の経験をそう語る。
日本人で唯一の「オリエント急行のシェフ」に
料理の道を志し、ホテルオークラに入社した曽村さんが、駐ベルギー日本大使の公邸料理人に選ばれたのは22歳のとき。そこで3年半を過ごした後、帰国。そして、1999年には再び海を渡った。シンガポールとタイ・バンコクを結ぶ「イースタン&オリエンタル・エクスプレス」でシェフを務めるための渡航だった。そこで約2年半の勤務を終え、再びヨーロッパへ。今度は、ヨーロッパを代表する豪華列車「オリエント急行」のボーディングシェフを務めるための渡欧だった。
先ほど、鉄道の車両には食材のストックスペースがないということを申しましたが、ときには出発前に用意しておいた食材が旅行中に尽きてしまうこともあります。そんなときは旅先で市場に出向いて食材を仕入れるのですが、これもまた地方によって物が異なります。日本と変わらない形をしているのは、卵くらいのものでしょうか。野菜などはまったく異なります。それに、同じトマトにしても、夏と冬では質が異なる。同じ扱いはできないのですね。
そのようななかで、どうすればお客様に喜んでいただけるか。大切なことのひとつが、お客様とのコミュニケーションを大切にするということでした。お客様の要望を聞き、あるいは好みを感じ取って、臨機応変に料理をつくっていくわけです。ぜいたくな食材を使い、豪華な盛り付けをする。それだけが、美味しい、人の記憶にいつまでも残り続けるような料理をつくるコツではありません」(曽村さん)
オリエント急行は、イギリス・ロンドンを起点に、フランス・パリ、イタリア・ベネチアを経由し、トルコ・イスタンブールまでを走る。ロンドンでは鴨の料理が、パリではフォアグラが、スイスではチーズが出されるという艶やかな演出が行われる一方で、リゾットのような簡単な料理を出し、体調の悪いお客様に喜ばれたこともあったという。