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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

なぜ日本では「ピアノをやる人」が多い?背景にヤマハの“ビジネス戦略”

文=篠崎靖男/指揮者

 そんななかでも、日本人が最初に思い浮かべる楽器は、ケージの作品の初演でも使用されたピアノであることは間違いありません。これには、あるビジネスモデルの成功が深くかかわっています。

 日本は、1960年代の東京オリンピック、1970年代の大阪万博に象徴される高度経済成長により1968年に西ドイツを抜き、GNP世界第2位に躍り出ました。当時、中流階級という言葉も広まったように、経済的に余裕のある家庭が多数出始め、「子供には、まずはピアノを!」と、ピアノブームが起きました。とはいえ、今も昔もピアノは高価で、簡単に買えるものではありません。

 実は、このブームには仕掛け人がいたのです。今や世界的な楽器メーカーとなったヤマハ楽器の当時の社長、川上源一さんが、これまでにない奇抜なアイディアを思いついたのです。それは“ピアノ貯金”というもので、「今から毎月貯金すれば、ちょうどよいお年頃にピアノが買えますよ」とのキャッチフレーズで、赤ちゃんが生まれた両親を説得し、積み立てを促したのです。

 さらに、まだピアノの椅子にも届かない小さな幼児に向けて、自社が運営する音楽教室で、「まずは音楽に親しんで」と音楽の基礎を学ばせ、“良いお年頃になった”10歳ごろになって、いよいよ本物のピアノを買ってもらうのです。

 今では、一般的となった音楽教室のビジネスモデルをつくり上げ、70年代の第二次ベビーブームの到来も大きく後押しをし、一気に多くの一般家庭の居間にピアノが置かれるようになりました。しかも、家のピアノには、教養を表す高級家具を置くような、プライドをくすぐる部分もあったのでしょう。僕も、ピアノにキズでもつけようものなら、母親からものすごく叱られたものでした。

 さて、69年にはヤマハのピアノは生産台数が世界一になり、販売額ベースでは現在でも世界一です。ピアノだけでなく管楽器や打楽器は世界的にも評価が高く、弦楽器や学校の教材楽器等を含めると100種類以上の楽器を製造している世界最大の音楽総合メーカーです。僕も各国のオーケストラに行くと、「僕の楽器はヤマハだよ。とても良いんだ」と言われることも多く、誇らしい気持ちになります。

 ピアノの販売台数は80年代にピークを迎えたのち、少子化や電子ピアノの普及もあり、現在では10分の1程度に減少しているそうですが、ピアノはしっかりと調律を続けていれば3世代にわたっても十分使える楽器なので、日本の各家庭の居間には、まだまだピアノが置かれていると思います。

 さて最後に、「奥さんがピアニストらしいね。いいよね。夜に弾いてもらって、ブランデーを傾けられるね」と、会社の同僚にうらやましがられている、ピアニストの女性と結婚したご主人も、この連載をご覧になっているかもしれません。そんな、羨ましがられているご主人の代弁をしますと、まあ、実際には、そんなことは一度もないでしょうね。

 ある時はご主人よりもピアノを大事にするかと思えば、またある時はピアノを憎んでいるのかと思うくらい、別に美しくもなんともない同じ旋律を、何度も何度もずっと怒ったように練習していたりします。そんな時にピアノ室に入って、「あのブランデーはどこにしまったっけ?」などと聞こうものなら、「邪魔しないで!」と怒鳴られるのは間違いありません。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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