株価は公開価格のおよそ20分の1
JDIは14年3月にIPO(新規株式公開)した。公開価格は「高すぎる」とされたが、日本興業銀行出身で革新機構から送り込まれた上場担当役員(白山工場の建設を主導した人物)と、幹事証券会社の野村證券が強引に900円に決めた。その株価は18年12月、50円の上場来安値の“倒産株価”をつけた。公開価格の、およそ20分の1の水準にまで崩落した。
その後、資本注入の思惑から株価は反転。19年1月23日に96円の年初来高値をつけた。最安値から倍増に近い株価になったのだから皮肉だ。5月15日の終値は62円で材料出尽くしとなった。年初来高値(96円)から35%の下落。5月14日に年初来安値の60円をつけており、株価は台中連合の支援断念を織り込み始めたようだ。
JDIは投資家を再三再四、裏切ってきた。上場1カ月後に業績予想を下方修正し、その後は業績見通しの下方修正の常習企業に成り下がった。14年の836円が上場後の最高値。公開価格を一度も上回ったことがない。その後、株価は下落の一途をたどっている。市場関係者は“ゾンビ企業”と酷評する。
株価面で見れば、もはや“倒産企業”である。小手先の資本注入を繰り返すのではなく、法的措置(会社更生法など)を申請して、一から出直したほうがいいと冷ややかに見る向きも多い。
だが、そうしないのは、倒産させたら経産省が自らの産業政策の過ちを認めることになり、批判の矢面に立たなければならなくなるからだ。アベノミクスの失敗例とされることを経産省は警戒している。
JDIの歴代経営者は、ことごとく“敵前逃亡”した。経産省は「ゾンビ企業をいつまで助けるのか」と厳しく批判されているが、実際に、JDIの経営に関して1から10まで口出ししてきた。そして、最終局面で再建のカジ取りを断念して台中連合に経営を丸投げした。それにもかかわらず、経産省は責任取ろうとしない。
「先端技術の液晶は守らなければならない」と主張してきた経産省が、「液晶はもはやコモディティ(汎用品)になった」と言を翻した。経営放棄の責任を回避するような発言を繰り返している。
(文=編集部)