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ます氏は、赤福の経営理念を確立した人物でもある。午前2時に床を離れ、風呂で身を清め、仏前で読経。身支度を整えて本店に出るのが午前4時。店先にある三宝茶釜に火を入れ、客に出す茶を沸かす。午前5時になると赤福本店横の工場に従業員が出勤し、餅をつき、あんをつけ、折り詰めをつくる。
ます氏が赤福の中興の祖と呼ばれる理由のひとつは、太平洋戦争の終戦前後の5年間、赤福餅の販売を中止した英断だ。戦中から戦後にかけて、砂糖と小豆が統制品となり、まともな原材料が手に入らなくなった。闇市に行けば質の劣る材料を買うことができたが、良質の餅米や砂糖、小豆は手に入らない。ます氏は販売中止の理由について「ヤミの原材料で餅をつくったら、赤福が赤福でなくなる。味がわかる人から、『これが赤福か』と笑われる」と語っている。
閉店は44年から49年まで5年間にも及んだ。営業を再開するまで収入はゼロで、当時40人いた従業員には休業補償をして自宅待機してもらった。休業補償に充てる金を得るために、濱田家が所有していた別荘など、土地・建物を売り払った。店を閉じている間に、赤福の類似品を出す店が14店も乱立した。ほとんどの店は砂糖が手に入らないのでサッカリンを使っていたが、ますは餅米や小豆、砂糖の原産地にこだわり、本物が手に入るようになるまで決して赤福餅をつくらなかったことで、味を落とさず、赤福の品質を守った。
そのます氏をモデルにしたテレビドラマ『赤福のれん』(フジテレビ系)が75年に放映され反響を呼んだことが、赤福餅が全国ブランドになるきっかけとなった。その赤福のブランドが、消費期限の偽装発覚から7年たった今、再び大きく毀損しかねない事態に陥っている。
(文=編集部)
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