新日鉄、住友金属との巨大統合で晴らした公取委への怨念
三村会長は翌15日、「公取委の役割をどう果たすかという高い目線で判断していただいた」と神妙かつ皮肉交じりに述べているが、実は三村氏自身にとっても、公取委はいまいましい「不倶戴天の敵」だった。
社長在任時は
・ステンレス鋼板カルテル事件(03年12月/排除勧告)
・橋梁談合事件(05年5月/強制調査)
・ガス管工事談合事件(07年4月/立入検査)
・鋼管杭・鋼矢板カルテル事件(07年7月/立入検査)
と、新日鉄は独禁法違反事件を立て続けに起こしている。会長になってからも建材用亜鉛メッキ鋼板をめぐる日鉄住金鋼板の価格カルテル事件(08年/刑事告発)が起きている。その合弁相手は住友金属だった。
後にステンレス大手の日新製鋼への出資比率引き上げを、公取委の事前審査が長引いたために断念させられたのも、不祥事を繰り返した新日鉄に公取委が良い感情を持っていなかったためだろうと容易に想像できる。
公取委との対立の長い歴史
三村氏の公取委への怨みは、遠い昔の先輩の仇だけではなかったのである。
その大先輩の永野重雄氏らと公取委との43年前のバトルは、問題解決措置で大きな傷を負った八幡・富士側もけっこうダーティーだった。それは当時、公取委事務総局に勤務していた平林英勝中央大学客員教授の論説「公正取引委員会の職権行使の独立性について」に書き留められている。
合併審査中、与党や産業界からは独占禁止法の改正が提案され、当時の与党自民党は、独禁法の規定をゆるめ公取委の独立性を奪おうと画策した。平林氏は「公取委に対する公然たる圧力であることは、同年10 月、本件合併が同意審決という形で承認されると、この提言は忘れ去られ、独禁法緩和や公取委改組といった意見が見当たらなくなったことからも明らかである」と書いている。
国会では、総理大臣、通産大臣、経済企画庁長官がそろって合併支持の答弁をした。公取委の人事権、予算権を握る佐藤栄作首相が発言でプレッシャーをかけただけでなく、大平正芳通産相は山田精一公取委委員長と直接会談までしている。「職権行使の独立性と審判の公正さの点で問題があったといえる」(平林氏)というのも当然だ。
さらに委員長、委員には、産業界はじめ外部からさまざまな非公式な働きかけ(=裏面工作)が行われ、国会では平林氏が「つるしあげ」と表現する質疑が、与党議員だけでなく野党議員からもなされたという。
政財界挙げての強力な圧力
つまり、企業合併は政治問題にされ、あの手この手で公取委に「つべこべ文句を言わないで合併を認めろ」と、強い圧力がかけられたのである。当時、日商会頭で「財界四天王」と呼ばれた一人、永野重雄・富士製鉄社長が政界に強い影響力を行使していたことは、他の文献を見ても明らかである。
結局、八幡・富士の合併は厳しい条件をつけられながらも承認され、山田委員長は詰め腹を切らされたかのように辞任した。平林氏は「『公取委当局とくに山田精一委員長がともかく毅然たる態度を堅持したことは、審決の結論についての賛否をこえて、多くの人々が称賛の拍手を惜しまないであろう』と高く評価する見解があった」と書いている。
このように新日鉄vs.公取委のバトルは、会社誕生前から始まっていた。当時の永野重雄氏は吉良上野介以上の策士で、公取委の山田委員長は政界を巻き込んでプレッシャーをかける相手にひるむことなく見事に刺し違えた、浅野内匠頭も顔負けの高潔の士だった。