バリスタ大国・日本?知られざる世界 コーヒー豆生産から関与、農業活性化にも寄与
14年のWBCはイタリアの観光都市・リミニで開催され、54カ国の代表が出場。予選・準決勝を勝ち抜いたファイナリスト6人が頂点を競い合った。同競技会では15分の制限時間内にエスプレッソ、カプチーノ、シグネチャービバレッジ(創作ドリンク)を各4杯提供。味わいや創造性、技術とともに、英語でのプレゼン能力が点数化されて順位が決まるという(「月刊カフェ&レストラン」<旭屋出版/14年10月号>参照)。
「今回の大会では『チームMARUYAMA』を結成し、出場する井崎以外に、統括ディレクター兼バリスタトレーナーの阪本義治、コーチのピート・リカタ(13年の王者)が技術面をサポートするなど総勢5人が現地に赴きました。当社は5年連続の出場で、これまで現リーテール地域ディレクターの女性バリスタ・鈴木樹らが培った経験もあり、大会を勝ち抜くノウハウを学んできました」(丸山氏)
実は井崎氏は、前年も日本代表としてWBCに挑んだ。結果は13位。12位以上が決勝進出という中で、12位と同得点ながらローカルルールの差で予選敗退した。大会後に丸山氏は、井崎氏をコーヒー豆の生産地・コスタリカに派遣。自らも長期間同行して農園の生産者との交流を支援し、実際に栽培や収穫を体験させたという。こうした地道な活動や支援態勢が、14年の大会におけるパフォーマンスにも表れたのだ。
●夢を持てなかった若者にやる気を与え、素質が開花
井崎氏の父は福岡県にある「ハニー珈琲」代表の克英氏だ。かつての井崎氏は、人生の目標が持てず16歳で高校を中退し、怠惰な日々を送っていた(その後に大検で資格を取り、法政大学を卒業)。当時の生活を見かねた克英氏が丸山氏に依頼し、阪本氏からバリスタとしての訓練を受けるようになった。
もともと素質があったのだろう。井崎氏はすぐに頭角を現した。「17歳でバリスタの修業を始めて、約1年で大会に出場するまでになりました。運動神経が良く、動きも俊敏で、出場した大会では、ちょっとした評判になったほどです」と丸山氏は振り返る。
本人も始めた当初から「バリスタ世界チャンピオンになる」という思いを持ち続けてきた。13年WBCに僅差で予選落ちしてからは捲土重来を期し、コーヒーの抽出からプレゼンの一言一句まで「0.5点」にこだわったという。
コスタリカで再認識したのは生産者への思いだ。14年の大会はラ・メサ農園の生産者で同年代のエンリケ・ナヴァロ氏と一緒に理想のコーヒー豆をつくり上げ、その豆で大会に臨んだ。「井崎は、野球でいえば剛速球を投げられるが荒れ球の投手で、ツボにはまると本領を発揮するタイプ。本人が『できる限りのことはやった』と納得できるように周囲は支援しました」と丸山氏は明かす。産地経験が豊富な丸山氏も口出しを控え、本人の気づきを尊重したという。