「当時は社会からバッシングされていた影響もあって、社内はバラバラ。そこへ『みずほからリストラ部隊がやってきた』という受け止め方。『これから会社はどうなるのだろう』と、みんな疑心暗鬼に駆られていた」(西武HD関係者)
「西武帝国の独裁者」とも呼ばれた西武鉄道グループ元オーナー堤義明氏の下、社内の風通しも悪かった。当時は西武鉄道、コクド、プリンスホテルの3社を中心に西武グループが形成されていたが、グループ内の人事交流は皆無。当然、社員同士の面識もなく、所属が違えば完全な他社。管理職クラスでさえ、何かの折に顔を合わせると名刺交換から挨拶が始まる状態だったという。このため、もともと上を向いて仕事をする傾向が強かった社風に不安感が倍加され、それに嫌気が差した社員は去り、残った社員は自己保身に走るといったありさまだったようだ。
そこで後藤社長は本格的な経営再建に入った06年3月、「新西武グループ」の経営理念と社員の行動指針を明確にした「グループビジョン」を制定、社員のモラルアップに取り組んだ。社員へのアンケート調査などで現場の問題点を洗い出し、グループ間の人事交流などを盛んに行い、グループの一体感醸成に努めた。また、企業倫理規範、リスク・情報管理基準などコンプライアンス体制を整備し、経営理念と共にコンプライアンスの浸透を図るなど内部統制の強化にも努めた。
レベニュー・マネジメント
一方、個別事業に目を転じると、ホテル・レジャー事業では収益改善が待ったなしの状況だった。
堤時代は主要3社の独立性が強く、経営も「利益なき売り上げ至上主義」が横行していたという。例えばホテル事業では各ホテルが価格競争に走り、極端な割引で客室稼働率を上げたり、食にこだわる料理長が採算度外視の食材を購入して自分の料理を自慢したりしていた。そこでホテルごとのコストを精査し、採算割れする客室稼働や料理の排除を進め、ホテル従業員にもコスト意識を浸透させた。
同時にホテル運営の効率化を目指し、米国のホテル業界に定着しているレベニュー・マネジメント導入にも取り組んだ。レベニュー・マネジメントとは季節やイベントの有無に即した客観的な需要予測、需要に即した価格設定、ターゲットを絞った集客などで、ホテル事業の収益拡大を目指す販売管理手法。その結果、10年後半頃からホテル事業の収益が向上し始め、ホテル事業で実施した収益改善の成果をレジャー部門にも広げていった。
証券アナリストは「こうしたホテル・レジャー事業立て直しの成功が、訪日外国人増加を追い風に同事業を活性化させ、再上場後の西武の株価上昇に貢献した」と分析する。