若者が知らない「成果主義」の過酷な現実…頑張りは評価されず、同期でも給料に数倍の差
そんな成果主義の弊害を如実にあらわしている郵便局員の声を新聞報道の中から拾ってみよう。
「あれだけの報道があってなお、現場は数字を毎日求められています。過剰なノルマは何も変わっておらず、管理職から詰められる毎日です。そして、こうしている間にもたくさんのお客さまがだまされ、被害が出ているのが現場です」
「保険の契約がとれなければ生活できません。保険の契約を取って稼ぐしかなく、結果的に不適切営業をしてしまうという流れです」
「こんなことはやりたくないが、毎日のようにノルマに追われて、退職者も増え、一人一人の社員の負担がとんでもないことになっている」
「どんな手を使おうとも営業成績がいい社員が評価されるという仕組みがおかしい」(以上、7月10日付西日本新聞より)
新聞報道に勇気を得て、不適切営業の実態を世間にアピールするSNSサイトまで登場したため、日本郵便はSNSなどの書き込みを禁じる通達をしたという。
成果主義でないから保たれた仕事の誠実さ
郵便局の職員に親切にしてもらった記憶のある人は非常に多いのではないか。今でも親切な職員はたくさんいる。だが、郵便局は同じ日本郵政グループのかんぽ生命の商品を売り込んできたわけで、そうした郵便局の信頼を得てきた組織風土が揺らぎつつある。
改めて言うまでもないことだが、成果主義では、契約数や売上高など結果としての数字がすべてであり、その評価軸に「仕事の誠実さ」は含まれない。それは上述の郵便局員たちの声からも明らかである。
保険営業を長く担当していたかんぽ生命の元社員は、契約を取った客のサポートを社員にさせない会社の体質が問題だとする。「『以前の客ではなく、新しい客から契約を取ってこい』と指示され、以前の客と会うと反省文を書かされ」るため、上司にばれないように休日に馴染みの顧客を訪問していたという(7月10日付西日本新聞より)。
馴染みの客の応対をしても儲けにならない。当面の数字にならない。新規の客から契約を取れば儲けが増える。数字にならない仕事は無駄とみなす。そこまで成果主義を徹底したところに今回表面化した問題の根がある。
このようにみてくると、成果主義の孕む問題は、相当に深刻なものと言わざるを得ない。
これまで日本社会で仕事の質や誠実さが保たれてきたのは、数字にあらわれる結果がすべてという成果主義ではなく、「間柄の文化」特有の関係性を大切にする姿勢が強かったためと言える。
「間柄の文化」にふさわしい改革を
私は、欧米を「自己中心の文化」、日本を「間柄の文化」と特徴づけている。自己中心の文化では自己拡張の原理で誰もが動くが、「間柄の文化」では相手との関係性を大切にしながら動く。
そのため、商売においても、顧客との関係性を大切にし、顧客の身になって考えることも当たり前のようになっており、そうでないと申し訳ない思いに駆られる。だからこそ相手を裏切らず、できるだけ相手の期待にこたえようとする、誠実な仕事が行われてきた。
だからこそ、消費者も相手を信じ、疑うことをしない。そのため、相手をまず疑い、身を守るのは個人の義務とみなす「自己中心の文化」と違って、日本の消費者はとても無防備な心理状態にあるわけだ。それでも商売をする側に「間柄の文化」に根づいている相手に配慮する心の構えがあるからなんとかなってきた。
そうした文化的伝統が、成果主義によって壊されようとしている。もちろん低成長時代にどのように稼いだらよいかといった問題を無視はできない。だが、それを従業員を数字で締めつけ駆りたてるという方向で解決しようとするから、このような不適切なやり方が横行してしまう。
ゆえに、新たな稼ぎの仕組みを模索しつつ、仕事の質が保たれるように人事評価の仕組みも改善していく必要があるだろう。
何かと欧米式を追随しようとする風潮が強まっているが、私たち日本人の心の中には日本の文化的伝統が刻まれている。異文化でうまく回っているやり方を取り入れたところで、うまくいくとは限らない。むしろ弊害が生じることが多い。改革するにも、これまでの文化的伝統を踏まえて行う必要がある。
先頃浮上したかんぽ生命の問題をみても明らかなように、日本式の相互信頼の社会といった体質を壊さないよう、「間柄の文化」にふさわしい人事評価の軸の洗練に努めるべきだろう。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)