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熊谷修「間違いだらけの健康づくり」

老後の健康を左右する食欲、一緒に食事をする家族等の有無が影響…若い頃の努力が重要

文=熊谷修/博士(学術)、一般社団法人全国食支援活動協力会理事
老後の健康を左右する食欲、一緒に食事をする家族等の有無が影響…若い頃の努力が重要の画像1
「gettyimages」より

 老化を遅らせる食生活指針は、メタボ対策の食事とはかなり異なる。これまで3回にわたりシニア期の欠食による栄養失調リスク、たんぱく質と脂質栄養の重要性、あるいは牛乳の効用についてお話してきた。

 人生後半の食生活を通した健康づくりには、食事のとり方や何をどのようにどれだけ食べればいいかという、栄養情報とその実践だけではどうにもならない面がある。食生活は日常生活を構成するひとつの要素であり、そのほかにも複数の要素があり、互いに影響し合い複雑に絡み合っている。栄養問題を解消するには、このような関係を加味斟酌して取り組まなければならない。

 そのなかで最重要なテーマが、食事に対する意欲、すなわち“食欲”の問題である。食事に対する意欲のない者に、“これを食べるといい”というアドバイスは意味をなさない。昨今、食欲を抑える手段が注目を集めているようだ。これらは食べすぎを防ぐためのものであり、痩身願望を満たすものや種々の病気の管理や予防を目的としているものだ。食欲のあることをディスアドバンテージとしてとらえている。

 ところが長い人生のなかでは、食欲のあることは極めて大きな心理的アドバンテージである。我々は生まれて死を迎えるまで「成長期」(身長の伸びが終了するまで)、「成熟安定期」(老化が進み始めるが身長は伸び縮みしない)、「老化期」(身長の縮みが開始する)という3つのライフステージを経る。この3つのステージは良好な栄養状態が基盤になければならないが、特に成長期と老化期は重要度が高まる。人生の3分の2以上は栄養基盤を強固にするための食事に対する心理的アドバンテージ、すなわち“食欲”が求められるのである。

食欲があるシニアほど老化が遅い

 まず、食欲と体の栄養状態の関係を明らかにしようと思う。自明と思うかもしれないが、明瞭に描写できている科学データは意外に乏しい。

 地域の元気シニア約950名(平均年齢72.1歳)に食欲の程度をアンケート調査したデータがある。結果をみると「非常にある」が16%、「まあある」が78%、「あまりない」が6%、「ほとんどない」は0%であった(中年からの老化予防総合的長期縦断研究、東京都老人総合研究所、1996.分析:熊谷修)。

 食欲が「ほとんどない」ことは近い将来の死に直結することが多いため、元気シニアにはほとんどいない。食欲はあるがどの程度あるかが問題になる。体の栄養状態に明らかな違いが出る分岐点は、「非常にある」かそうでないかである。

 同対象を食欲が「非常にある」群と「それ以外(まあまあ+あまりない)」の群に改めてグループ分けして、血清アルブミン値の平均を比較すると、「非常にある」群が4.3g/dlと「それ以外」の群が4.2g/dlとなる。「非常にある」群のほうが有意に血清アルブミンは高い。わずか0.1であるがこの差は極めて大きい。

 さらに、体の栄養状態の予備力の指標である皮下脂肪厚(上腕+肩甲骨下)でも差があらわれ、「非常にある」群のほうが皮下脂肪厚は厚い。これらのデータは、性と年齢の影響を調整している。血清アルブミン値は体のたんぱく質栄養の指標と同時に老化の指標でもある。値の高いほど栄養状態は良好で、老化は遅く進む。食欲が非常にあるシニアほど老化が遅く進むことを意味する。老化を遅くするには、食欲を増す手立ても必要になるのである。

心の健康づくり

 それでは、どうすれば食欲が高まるのだろうか。

 食欲は体を動かせば高まると思う方々は多いだろう。しかし、人生後半の食欲を高める意外な習慣が2つあることがわかった。1200名の元気シニアの研究データ(熊谷修『介護されたくないなら粗食はやめなさい ピンピンコロリの栄養学』講談社)によると、まずひとつが、家族や友人と共に食事をすることである。ともに食事をするシニアは、そうでないシニアに比べ食欲は約3倍(優比)である。2つ目が、ボランティアなど地域社会と交流することである。地域と交流のあるシニアは、そうでないシニアに比べ同じく食欲が3倍(同)である。

 この分析結果は、性、年齢、抑うつ度、配偶者の有無、噛む力、痛みの有無、運動習慣、趣味や稽古事などの影響を調整している。体を動かす習慣では、一つ気になるデータが明らかになっている。シニア世代では運動(スポーツ)習慣の有無で食欲の程度に違いがあらわれるのではなく、趣味や稽古事の有無で違いの出ることがわかった。人生後半の食事に対する意欲は、人との交流や創造的な活動で育まれる。平均年齢72歳1200名の中で定期的な運動の習慣のある者の割合は、1割程度である。老化が進めば定期的な運動の習慣は消失してゆく。齢を重ねていくにつれ創造的な知の活動が食欲の源泉になる。心の健康づくりに欠かせない視点だ。

 若い頃から肌感覚で(リアルに)人と繋がり楽しみを創り出すライフスタイルを身に付ける必要がある。近頃の社会のぎくしゃく感はSNSが関係していると筆者は思っている。歩きスマホは論外だが、電車に乗りながらもスマホに心身を委ね、自身の関心がある情報のみを視覚的に捉える態度は、知的創造性を生み出すものなのか疑問だ。街並みの景色や車窓を眺め、思いを巡らすほうが知的創造性を生む活動ではないかと思う。

 病気ではない老化という普遍的な身体変化を左右する、健康科学から表出する研究成果は、人生の歩み方を教えてくれている気がする。SNS環境に過度に暴露された若年集団がシニア世代になったとき、どのような老化の様式をとるのかは、重要な研究テーマだ。

熊谷修/博士(学術)、一般社団法人全国食支援活動協力会理事

熊谷修/博士(学術)、一般社団法人全国食支援活動協力会理事

1956年宮崎県生まれ。人間総合科学大学教授。学術博士。1979年東京農業大学卒業。地域住民の生活習慣病予防対策の研究・実践活動を経て、高齢社会の健康施策の開発のため東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター研究所)へ。わが国最初の「老化を遅らせる食生活指針」を発表し、シニアの栄養改善の科学的意義を解明。介護予防のための栄養改善プログラムの第一人者である。東京都健康長寿医療センター研究所協力研究員、介護予防市町村モデル事業支援委員会委員を歴任

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