人間ドックや健診、かえって害?治療不要の病気まで指摘で不幸に?余命延長に無効?
そうですね、あくまでも健診や人間ドックは、ある意味少々の問題でも指摘することが仕事です。悪くいえば、あえてケチを付けることが任務です。ですから、人間ドックや健診で異常を指摘された人の90%は「問題なし」、もっと極端に99%は「問題なし」と言い放つ医者もいます。健診や人間ドックで異常と診断されて、心配で心配でかえって心の病になることもあります。
ガソリンスタンドで給油のときに、「お待ちの時間にエンジンの点検でもされませんか。無料でやりますよ」と言われることがあります。そんなときには、店員はちょっとした異常でも指摘してくれます。年に2回のディーラーでの点検で十分ですが、ガソリンスタンドで指摘されると、ちょっと心配になりますよね。そんな光景と同じです。
そして、車は異常があれば修理ができます。エンジンが不調であれば、エンジンごとの交換することも可能です。すべての部品が交換可能ということは、すべてを交換していくと新車と同じになりますね。
治せない異常は知らないほうがよい
ところが、人間はそうはいきません。治せない異常がわかっても困りますね。治す必要がない異常が見つかっても嫌ですね。治せない異常は、今の医学では治らない病気で、そうであれば死ぬまでわからないほうが幸せです。治す必要がない病気は、たとえば早期のがんでも、死ぬまで早期のままでいるがんです。前立腺がんなどは、高齢で亡くなった方の多くに見られます。
問題は、どのがんが放置すると命にかかわるがんなのか、また放置してもあまり心配のないがんなのかの判別が正確にはまだできないという点です。ちょっと困りますね。だからこそ、心配な可能性があれば治療をするのです。もしかしたら不要かもしれませんが、致し方ありません。知らないほうが良いこともありますよね。
筆者の友達の医師は、必要以上の検査は「配偶者の携帯電話やメールの履歴と同じですよ」と説明するそうです。知らなければ何事もないのに、知ってしまうと妙に気になり始めるということです。
つまり、健診や人間ドックは適切に受けることが大切で、でもその適切が何かが実はわからないというのが現状だということです。少なくとも症状があればなるべく早く医師に行くべきです。また、みんなが受けているような健診や人間ドックは受けたほうがいいでしょう。そのほうが後悔しませんから。それ以上の検査は、その欠点も理解して受けるということでしょうか。極論君、非常識君、常識君とも、どれもそれぞれに正しい意見だと思います。
(文=新見正則/医学博士、医師)