昭和の子どもたちにとって『オロナイン軟膏』は、「痛いの痛いの飛んでけぇ~」を具現化したような塗り薬だった。遊びで擦り剥いても、蚊に刺されても、軽い火傷を負った時も、とにかく「オロナインを塗っときなさい!」という親のコトバに従えば、妙に安心できる効果がアノ軟膏にはあった。
一方、その軟膏の全国区的なブランド名を「上の句」で上手く流用し、下の句を「ミンC」という誰もが成分(ビタミンC)を連想する略語で受けるという秀逸なネーミングでご存じの、大塚製薬の大ヒット商品「オロナミンC」。
こちらは、子どもたちにとっていわば「ポパイのホウレン草」をおいしく飲めるようにした革新的な栄養ドリンク剤と映ったものだ。
もっとも、オロナミンCに「オトナの飲みもの」的憧れを抱いた三丁目の夕日世代である(かつての)少年たちも、その前身とも呼べる同社初のドリンク剤『グルクロン酸ビタミン内服液』や『キングシロー』『クインシロー』の存在となると、さすがに知らないかもしれない。
また、そんな昭和36(1965)年生まれの、知る人ぞ知る先輩ドリンク陣に比べ、後発のオロナミンCが大ブレイクした最大の違いが「炭酸を入れる」という斬新なアイディアにあったことを、生まれた時から炭酸飲料に囲まれて育った世代は知る由もないだろう。
炭酸入れたら大ブレイク
しかも、この「炭酸入り」という業界騒然の革新性こそが、発売当初、厚生省(当時)の判断で「医薬品」とは認められなかった理由にほかならないのだ。
よって、法の定めが壁となり、オロナミンCは「健康の保持」や「増進」にかかわる効能や効果を表示もできなければ、それを広告もできないという宿命を負ったドリンク剤なのだ。
ところが、捨てる神あれば拾う神ありも世の常。
「清涼飲料水」に区分けされたオロナミンCは、メインの販売先である薬局系ルートこそ奪われたものの、なりふり構わぬ営業マンたちの努力によって苦肉策の販路を拡大した。
食品系小売店を筆頭に、交通機関の駅売店や病院・学校などの各施設、スポーツ会場や遊技場、銭湯にいたるまで「元気ハツラツ!」飲料は置かれていった。