みなさんが日常的に食べているもののなかに「10億年の恵み」があります。それは何か想像できますでしょうか? 牛肉? 現在、私たちが食べている肉牛は17世紀半ばに絶滅したオーロックスという動物を家畜化したもので、進化的には200万年程度の歴史しかなく、10億年の足元にも及びません。
お米や麦? 現在のイネや麦は完全に人間によってつくり出された栽培種で、その原産地も祖先にあたる植物もよくわかっていません。あえて「被子植物を祖先とする植物」とものすごく拡大解釈をしたとしても、もっとも古い被子植物の痕跡は白亜紀の地層から発見された花粉の化石で、1億3000万年前のものです。
実は、10億年の恵みと呼ばれる食べ物は「海苔」です。海苔そのものは加工食品ですが、原料の藻類は陸上に動物も植物もいなかった10億年前から地球で大繁栄し、多くの生物が姿を消した数回の大量絶滅の時代も難なく生き抜いています。現在は2万種もの藻類が、地球上の水のあるところであればどこにでも生息しています。
東南アジアの島々、グリーンランドのような酷寒の地やハワイの火山性台地などの食用植物がほとんどとれないような地域では、藻類は食物として非常に重要な役目を担ってきました。中国では野菜同様に調理されますし、日本では保存のきく海苔に加工されて古くから食されてきました。
海苔のパリパリとした食感と豊かなうまみ、そして日本人の本能をくすぐる磯の香りは、ほかの食品では置き換えることのできない特有のものです。ちなみに、「海苔は磯の香りがする」と述べましたが、実は逆で、磯の香りは海藻がもたらすものなのです。
海苔は意外に多くの栄養成分を含んでいます。もっとも知られているのはヨウ素ですが、ビタミンはA、B、C、E、タンパク質は重さにして3分の1も含みます。海苔の原料となる藻類の「ノリ」は水生植物のなかでも昆布のような食べられない茎や根がなく、すべてが光合成細胞で栄養成分に富み、短い期間で勝手に繁殖します。そうしたほかの魚介類にない決定的な性質を持つため、ビジネスの視点で見れば、すべての養殖産業のなかでもっとも高い利益率を誇ります。
日本人の腸内細菌と好相性の海苔
コンビニエンスストアのお弁当売り場には海苔で巻かれたおにぎりが山積みにされ、ラーメン店はトッピングの海苔の枚数を競う現代の日本ですが、早稲田大学と東京大学大学院の研究チームが、そうした光景は日本人にとっては栄養上有益であっても、外国人にはあまり意味がないことを明らかにしました。
藻類(海苔やワカメ)に含まれ、独特の粘り気がある食感を生み出す栄養成分のカラギーナンなどを分解する酵素の遺伝子を調べたところ、日本人の9割は藻類の粘り気を分解して栄養として利用できる一方で、そのほかの国では多くても1割程度の人しか分解酵素を持っていないことがわかりました。つまり、日本人は海苔をもっとも効率よく食品として利用できる人種ということです。
『食べ物はこうして血となり肉となる~ちょっと意外な体の中の食物動態~』 野菜を食べると体によい。牛肉を食べると力が出る。食べ物を食べるだけで健康に影響を及ぼし気分にまで作用する。なんの変哲もない食べ物になぜそんなことができるのか? そんな不思議に迫るべく食べ物の体内動態をちょっと覗いてみよう。