仕事に「やりがい」を感じてはいけないのか?
仕事はあくまでも生計を立てるための手段である。私も学生時代、できることなら就職は先延ばしにして、もう少し好きなことをして暮らしていたいと思ったものだった。でも、それでは暮らしが成り立たないので、仕方なく就職した。
仕事は生計を立てるための手段。そう思えば、投入した労力に見合った金銭報酬や適正な勤務時間など、納得のいく待遇が与えられない場合は、正当な待遇を要求したいと思うだろうし、それが通らないなら辞めるという選択肢が当然のこととして思い浮かぶはずだ。
ところが、仕事そのものに「やりがい」を感じるべきだということになると、たとえ投入した労力に見合った金銭報酬が与えられなくても、あるいは過酷な長時間労働を強いられても、だから辞めるということにはなりにくい。充実感や達成感、使命感があるからということで、一切文句を言わずに働く者が出てくる。
それが搾取される働き方につながり、ときに過労死や過労自殺といった深刻な問題を引き起こすことになる。
そう考えると、仕事にやたら「やりがい」を求めるのは、けっこう危険なことなのかもしれない。多くの人が抱える生きづらさの背景にあるのは、仕事に「やりがい」を感じるべきという考え方なのではないか。
では、仕事に「やりがい」は必要ないのか。一概にそうとも言い切れない。
生活の糧を得るには、自分にできる仕事をして稼ぐしかない。でも、どうせ働くなら、嫌々仕事をするよりも、「やりがい」を感じながら仕事をするほうが、ずっと気持ちよく働けるだろう。
ただし、仕事の「やりがい」というのは諸刃の剣みたいなものだ。働く人を活き活きさせる面があると同時に、不当な搾取に対する働く人の感受性を鈍らせ、結果的に働く人を苦しい状況に追い込む側面がある。そこに注意を喚起したいのである。
「お客さまの笑顔」「お客さまの満足」
学生たちとアルバイトについて話していると、「お客さま」という言葉がやたら出てくるのが気になる。「お客さまの笑顔を引き出せるように」「お客さまに満足してもらえるように」がんばって働いているというのだ。そのことをいかにも満足げに口にするのである。
かつて、学生がこのような言葉を口にするのを聞いたことはなかったのだが、このところよく耳にするようになった。学生のアルバイトのほとんどが接客業だが、そうしたアルバイトの現場で、「お客さまの笑顔」や「お客さまの満足」を強調し、それを引き出すべく、がんばるようにといった従業員教育が行われるようになってきた、ということだろう。