地球上に生きる動物の約40%は寄生虫だと推定されている。そのなかに、宿主の性格を操る寄生虫がいることをご存じだろうか。複数の研究によって、トキソプラズマというネコ科の腸内で繁殖する寄生虫に感染すると、多くの動物で性格が変わることが判明した。
2022年11月24日の学術誌「Communications Biology」に 米モンタナ州の非営利団体(NPO)イエローストーン・ウルフ・プロジェクトの野生生物学者キラ・カシディー氏らが発表した最新の研究によると、トキソプラズマに感染したオオカミは性格がアグレッシブになり、群れのリーダーになる可能性が高くなるという。
カシディー氏らは、イエローストーン国立公園に暮らすオオカミたちを26年間にわたって研究した。その結果、トキソプラズマに感染しているオオカミは、感染していないオオカミに比べて、群れから離れる割合が約11倍、群れのリーダーになる割合が約46倍も高かったという。
英ロンドンにある王立獣医科大学(RVC)の疫学者グレゴリー・ミルン氏は、かねてより「トキソプラズマ感染が動物の行動を変容させる」説を肯定していて、今回の研究に関して、「トキソプラズマが動物の行動を変化させる証拠が、また一つ増えました」と関心を示した。
ただし、これだけを根拠として、この説を真実と断言するには拙速過ぎるという意見もある。動物行動学者・東北大学名誉教授の佐藤衆介氏に筆者がインタビューしたところ、「実態調査ですので、トキソ感染と行動域の広さ、社会的順位の高さに関係があったというだけで、因果関係を示した研究ではありません。逆に、喧嘩が強く、行動域が広いオオカミが、トキソ感染しやすいともいえます」と慎重な姿勢を保ちつつも、この研究に関心を示した。
「トキソプラズマ原虫など、いくつかの寄生虫が宿主の行動を変化させるということが1990年代以降に公表され、行動変化は生態系や食物連鎖にも影響する可能性があるということで注目されています」
感染したネズミは、自ら猫の餌になる?
トキソプラズマは、ほとんどの恒温動物に感染する寄生虫だ。2016年2月に学術誌「Current Biology」に発表された研究によると、トキソプラズマに感染したチンパンジーは、天敵であるはずのヒョウ(ネコ科)の尿に引き寄せられるという。
また、米ノバ・サウスイースタン大学の進化生物学者エベン・ゲリング氏の研究によると、トキソプラズマに感染したハイエナの子どもはライオンに近づきやすくなるというという。ゲリング氏は、「私たちの行動は、皆が想像しているよりはるかに多くの部分が、この寄生虫の影響を受けている可能性があります」として、動物の行動と寄生虫の関係が深いとの見解を示す。
チェコの進化生物学者ヤロスラフ・フレグル氏の研究によると、ネズミがトキソプラズマに感染すると、無気力で行動も鈍くなり、ネコを恐れなくなるどころか、むしろネコの尿の匂いに引き寄せられることもあるそうだ。
さらに、フィンランド・トゥルク大学の生物学者ハビエル・ボラズ・レオン氏の論文によると「トキソプラズマに感染したオスのラットは、感染しないラットよりメスを引き寄せる」という。
スウェーデンの研究チームによると、トキソプラズマは白血球を乗っ取り、恐怖心や不安感を鈍らせる神経伝達物質を生成するという。
トキソプラズマが最終宿主であるネコからネコに感染するのに、中間宿主であるネズミという餌を媒介して感染することもあるそうだ。トキソプラズマがネズミを“ゾンビ化”し、その結果、ネコ科の動物は餌を捕まえやすくなり、ネコ科の腸内で繁殖するトキソプラズマの子孫繁栄にも有利になるということだ。
トキソプラズマはネコ科の動物に対して好都合な世界をつくる、実に不思議な寄生虫だといえよう。
人間の性格も変える
さらに、なんとトキソプラズマが人間の性格をも変える、という研究もある。
英紙「Express」によると、「トキソプラズマにはすでに3分の1の人類が感染していて、いずれ全人類がゾンビ化されるかもしれない」そうだ。
2018年7月に学術誌「英国王立協会紀要B(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された研究論文によると、トキソプラズマに感染している人は「失敗への恐怖心」が薄れて、ビジネスを専攻したり起業したりする割合が高いという。また、「トキソプラズマ感染者は、非感染者に比べてビジネスの成功率が1.8倍に高まる」という研究もある。
佐藤氏によると、感染すると性格がアクティブになる可能性もあるようだ。
「トキソプラズマは中枢神経系にも寄生し、メカニズムは不明ですが、ドーパミンやテストステロン分泌を促進します。これらの物質は意欲、運動機能、性行動等に強く影響します。そのため感染動物は一般的に、積極的、好戦的で、新奇恐怖症が低下する傾向になります」
さらに、「トキソプラズマ感染者は性的に魅力的に見える」という研究もある。レオン氏によると、感染した男性は男性ホルモンであるテストステロンが増殖し、男女共に感染者のほうが顔が、より左右対称的なつくりになっているという。
同氏の説明では、「トキソプラズマは宿主の内分泌系(テストステロンなど)を操作し、顔の対称性を変化させている可能性がある」「トキソプラズマのような性感染する寄生虫は、感染によって人間の外見や行動を変容し、別の宿主に寄生するチャンスを増やす」という。
こう聞くと、あえてトキソプラズマに感染して「大富豪になりたい」「異性にモテたい」と思う方もいらっしゃるだろう。
しかし、トキソプラズマの“ゾンビ”になることは、必ずしも良いことばかりではない。我々の身を守る防衛本能である“恐怖心”が軽減されることにはリスクも伴うからだ。
フレグル氏によると「トキソプラズマに感染した人は、相手の車を追い越したり危険な車の運転を行いがち」「そのため、交通事故を起こす可能性が2倍高くなる」という。
トキソプラズマ感染者は、間欠性爆発性障害(IED)と呼ばれる精神疾患を起こす可能性があり、IEDになると運転中に性格が変わるなど、突発的な攻撃性が顕れるそうだ。
また、同氏によると「トキソプラズマ感染者は統合失調症」を発病しやすくなるそうだ。さらに、2012年の「精神臨床医学誌」で発表された研究によると、トキソプラズマ感染者は「死に対する恐怖心」も軽減されるのか、非感染者より自殺率が7倍も高くなるという。
ただし、国立研究開発法人日本医療研究開発機構によると、トキソプラズマに感染しても8割の人には健康面で症状が出ないという。気がつかずに感染している人々がほとんどなので、過度に気にする必要もないだろう。
トキソプラズマの感染を気をつけるべきなのは、免疫力が弱い人・妊婦だ。佐藤氏は、「妊婦や免疫不全の方は発症する可能性があるので、注意が必要です。妊婦が感染すると、子宮内で胎児に感染するので、さらに注意が必要です」と警戒を呼び掛ける。
「母子感染以外は経口感染ですので、まず肉類及び貝類の生食を止め、65~75度以上で調理してから食する。飼い猫にも生食させない。まな板、調理器具からでも感染するので、それらはよく洗う。土や砂場の中にもいるので、直接手に触れた場合は手洗いを行い、野菜等もよく洗ってから食すること。
猫の糞は特に汚染可能性が高いので、トイレは毎日掃除し、掃除後は手洗いを励行する。日本の猫のトキソ感染率は10~20%といわれていますが、猫の感染リスクは、屋外でのネズミ、鳥、その他の小動物摂食ですので、猫自体の感染を防ぐため屋内飼育とし、感染を防ぐことが重要です」
また、複数の医療関係者によると、性行為やキスでも感染することがあるので、避妊具の着用や口内除菌、妊婦や免疫不全者は極力、口腔性交等を避けることも感染対策として大切だろう。
とはいえ、佐藤氏によると、そもそも日本人の感染者は少ないそうで、あまり心配しなくてもいいのかもしれない。
「国立感染症研究所によると、日本人の感染者は5~10%程度で欧米に比べて非常に低く、かつほとんど発症していません 」
清潔好きで欧米人に比べて性行為の頻度が低いといわれる日本人が、欧米人に比べ大人しく慎重で攻撃性が低いのは、もしかしたらまだ“ゾンビ化”されている人が少ないからなのかもしれない。
(文=深月ユリア/ジャーナリスト、女優)