人はみないつまでも若々しくいたいと願うもの。そのために食べるものに気をつかったり、スタイルをキープしようジムに通ったり、身なりに気をつけたり、本やテレビを見て若い人の考えを採り入れようとする。けっこうなことだが、これは死ぬまで続けるべきなのだろうか?私たちは死ぬまで誰かから見て魅力的であるために努力を続けなければいけないのか。これってかなり苦行なんじゃないだろうか?
■60歳をすぎたら同世代の「若さ」をほめるのをやめる
「頭の回転が良く、美しくて、スタイルもいい」なんて、生きる指針にしていたらつらすぎる。それらは、60歳にもなれば万人が失っていくもの。これを指針にしていたら、ボケるのが怖いし、老けるのが怖くて仕方なくなる。
『60歳のトリセツ』(黒川伊保子著、扶桑社刊)は、老いや衰えを仕方のないものだと受け入れて、これまでとらわれてきた価値観を捨てることで60歳以上の人生をラクに快適に生きることができると説く。
若々しいのはいいことだが、人は誰でも老いる時がくる。ならば60歳を境にある程度の「あきらめ」を手にしてはどうか。還暦以降の人生に対する、そんな提言である。まずは60歳になったら、他人の美醜をとやかく言うのをやめてみよう。
「あなた、太ったんじゃない?」
「そのシミ、レーザーで消せるよ」
こんなセリフはご法度。60歳にもなれば誰だって見た目に気になる場所は出てくる。いちいち指摘していたら、自分の美醜だって気になってしまう。これではいつまでも若さの呪縛から自由になれない。
ほめる時も同様だ。「若く見える」「若々しい」と言われて嫌な人はいないはずだが、この年齢になったら若々しさは武器にはならない。若さへの憧憬から抜け出すためにも、誰かをほめる時は「若さ」をほめるのはやめよう。60年という時を生きてきた人間には、ほかにほめるべきところがたくさんあるはずなのだから。
成人したわが子に小言はご法度
60歳であれば、子どもはもう成人しているケースが多いだろうが、親は子が何歳になっても心配なもの。いちいち気をもんでは小言を言ってしまう人も。でも、成人した子どもはもう自分の価値観や世界観を持つ独立した存在だ。そんな人に対して親が感じたままに心配を口にしていたら、子どもは疎ましいだろうし、親の価値観を超えていくことができない。成人した子に親ができることは、彼ら彼女らの生き方を肯定してあげることに尽きる。
60歳を過ぎたら、親としてのこれまでのわが子とのかかわり方も見直してみよう。きっと子どもだけではなく、親も楽になるはずだ。
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本書では、60歳を過ぎたら見直してみたい価値観や考え方、行動について解説されている。人生の後半を充実して生きるには、できるだけ「荷物」は軽い方がいい。こだわりも執着も捨てれば、そこにはこれまでには考えたこともなかった毎日が待っている。60年間の間に背負い込んでいたさまざまな荷物に気づかせてくれる一冊だ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。