充分に気をつけていても、入念に計画していても、私たちは時々思わぬ失敗や間違いを犯します。
『なぜ、間違えたのか?』(ロルフ・ドベリ/著、中村智子/訳、サンマーク出版/刊)は、そんな失敗や間違いが起こる原因を「思考の落とし穴」という言葉で説明しています。「思考の落とし穴」とは、一定の法則に従って起こる推論の誤りのことで、私たちの誰もが無意識のうちに持っている一種の「思い込み」ともいえます。どんなに論理的思考能力が高くても、土台にこの「思い込み」があると、どうしても仮説や推測に誤差が生まれ、結果として判断を間違ってしまうのです。
では、「思考の落とし穴」にはどのようなものがあるのでしょうか。
●「自分だけはうまくいく」と思っている。
日常で目にする情報の中で、「成功」は「失敗」よりはるかに目立ちます。例えば、テレビで目にするミュージシャンはまぎれもない「成功者」ですが、「ミュージシャンを目指し、挫折した人々」はその何万倍もいます。しかし、テレビで彼らが取り上げられることはありませんし、私たちがその膨大な数を実感することもありません。
つまり、私たちがメディアを通して得ている情報は、ごくごく一部の成功事例なのです。これがわかっていないと、自分が何かをやろうとするときに、成功への見通しを甘く見てしまうことになります。
目標や夢に向かうのはすばらしいことですが、何をやるにしても「成功できるのは本当にごく一部」ということは、心得ておくべきです。
●知識を過大評価している
人はどんなに気をつけていても、自分の知識を過大評価しているもの。そのことを示すこんな実験があります。
何百人もの人に「ミシシッピ川の長さはどれくらいか?」や「アフリカのブルンジ共和国の人口は何人か?」といった質問をして、正解率が98%となるように、回答に幅を持たせて答えてもらいます。つまり、ほとんど外すことがないように「100km以上10万km以下」「100万人以上、10億人以下」というような回答をすればいいわけですが、驚くべきことに、この条件でも40%もの人が間違った数字を答えてしまったのです。
同じことは、各分野の専門家の予測にも当てはまります。
この実験が示すものは「わかっていること」と「わかっているつもりになっていること」の間には誤差があるということ。この誤差に気づかないと、大事なところで判断ミスをする原因になってしまいます。
●「あれは必然だった」に潜むワナ
ある大きな出来事を後から振り返って「今考えると、あれは偶然ではなく必然的に起こったことだったなあ」と、あたかも予測可能だったかのように思った経験を、多くの人が持っているはずです。
しかし、これは錯覚にすぎません。あとから考えれば、すべては必然的に起こったように思えるものなのですから。過去に起こったことが、いかに必然的だったかを探る癖をつけてしまうと、これから起こることをうまく予想できるはずだと過信し、結局は判断を間違えてしまいます。未来を正しく予想できる人間など、誰もいないのです。
本書には、私たちを失敗に導く52もの「思考の落とし穴」が紹介され、その危険性が解説されています。どんなに冷静で論理的な人でも、本書を読めば「冷静で論理的」というその自覚こそがすでに「思考の落とし穴」なのだと気づくはずです。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。
関連記事
・職場全体から不満が…「新型うつ」社員への対処法
・休日ゴロゴロする人と活動する人、1年でこんなに違いが!
・グダグダな休日を過ごして後悔しないための方法
・ゴミ屋敷に埋もれて見えない「ある病気」