そんな中で、北川氏は2000回もの会議に出席、住民と地方自治体の説得を試みた。そして、最終的には開催日直前に県議会で議決して、ようやく開催にこぎつけた。
00年に行われた第1回の個々の出展作品の立ち上げの苦労話から、反対していた住民がどのように協力的になっていったかを見てみよう。
棚田、空き家、廃校を使った代表作
ロシア出身のアーティスト夫婦であるイリヤ&エミリア・カバコフの「棚田」は、農作業をする農夫の彫刻を実際に棚田に置いた作品だ。展望台に掲げられている詩を透かすように見ることで、詩と彫刻、棚田が融合した立体絵本のような美しい情景が広がる。
この棚田を耕作している農家の福島氏に「アート作品を置かせてほしい」と最初に頼んだ時、丁重ながらきっぱりと断られた。そこで、北川氏率いるアートフロントギャラリーのスタッフは、日本の農業について書かれた書籍をロシア語に翻訳してカバコフ氏に送り続けた。
そして、カバコフ氏が日本の農業の実態を理解してつくった設計図を持参し、再度福島氏に説明に行くと、納得してくれたという。ただし、「体調が悪くて耕作を続けられないので、1年だけ」という条件だった。
しかし、「棚田」が多くの人に感動を与えるのを目の当たりにした福島氏は元気をもらい、その後7年間も棚田を耕作して、作品を置かせてくれたという。地元の人の心情を理解し、その心に寄り添うようにつくられた作品だからこそ、見る人に感動を与え、それがまた協力者を元気にしている。
日本大学芸術学部美術学科の鞍掛純一教授と同大学芸術学部彫刻コース有志による「脱皮する家」は、空き家となった古民家の柱、壁、床のすべてに彫刻を施した作品だ。実際に中に入り、彫刻刀で削られたでこぼこを足の裏に感じながら、まるで「耳なし芳一」のように家中に施された彫刻を見ていると、圧倒される。これは、同芸術祭の中でも人気の高い作品だ。
これについても、やはり最初に日大芸術学部の学生たちが訪れた時、周囲の住民は「靴の脱ぎ方も知らん」と、批判的な目を向けていた。しかし、学生やOBたちが休日のたびにやってきて掃除をしたり、一心不乱に彫刻をする姿を見るうち、住民は次第に手伝い始めたという。今ではすっかり打ち解け、現地の祭りを盛り上げるために、日大の学生は欠かせない存在になっている。