瀬戸内国際芸術祭では、おばあさんが道端にクーラーボックスを出してジュースを売っていた。聞いてみると、多くの来場者と接したいと思い、近くの自動販売機で110円で買ったジュースを100円で売っているという。地元で普通に暮らす人がここまで好意的に迎える姿勢があれば、限られた予算であっても来場者は増えていくだろう。
現地に暮らす人に寄り添い、交流することによって、その作品の力は増す。それが、リピーターを飽きさせない秘訣であり、芸術祭が回を重ねるごとに来場者を増やす要因にもなっているのだろう。
多様性を貪欲に追求する
同芸術祭には、ありとあらゆるジャンルの多様な芸術が盛り込まれている。運営についても、東京の学生ボランティア、地元の住民、行政、アーティストと、さまざまな人々が多様な関わり方をしている。だからこそ、この巨大なイベントが少ない予算で運営できるのだ。北川氏は「アートは、人と違っていてほめられる唯一の分野」と語り、「多様性の受容」を自分たちの大事な価値観としている。
ある作品を見ていると、地元の男性が近寄ってきて、解説をしてくれたこともある。前田氏は、「あの方はスタッフワッペンもなかったし、近所の方が自発的に解説してくださっているのでしょう」とうれしそうに教えてくれた。ほかの美術展などでは、こういった偶発的な解説に運営側がいい顔をしないケースもある。このあたりの鷹揚さが、同芸術祭の真骨頂でもあるだろう。
アートフロントギャラリーの活動を見ていると、その実は「多様性の受容」といった生やさしい感じではなく、貪欲に多様性を追い求め、そのためにはどんな障害でも乗り越えてやるぞ、という凄まじさを感じる。
例えば、フィリピン・イフガオの小屋を越後妻有に移設するプロジェクトでは、小屋をつくるためにイフガオの民族20人を日本に呼び寄せた。現地で出生証明書もないような人のパスポートやビザを取得させ、1カ月の日本滞在を手配している。
この話を聞いて、「ここまでやる必要があるのか」と思うのは、私だけではないだろう。しかし、このように貪欲に追求した多様性によって、参観者は飽きずに何度も足を運ぶ。そして、そのリピーターに初めての来場者が加わることで、回を追うごとに来場者数が増えていくのだ。