本書で上司の範とされているのは当然、松下氏だ。そしてもうひとり上司がいる。江口氏が政界入りしたきっかけになった元みんなの党代表の渡辺喜美氏だ。
2010年の参議院議員選挙で江口氏はみんなの党から全国比例候補として出馬し、当選した。渡辺氏が江口氏の自宅を直接訪問し、三顧の礼をもって出馬を要請した。
渡辺氏が自民党を離党したのは09年1月。その直前、グランドプリンスホテル赤坂(11年3月閉鎖)で開かれたパーティーでのことをよく覚えている。懇親会の前に渡辺氏による講演があり、新しい勢力の結集について熱心に語っていた。 パーティーには自民党から数名の議員が参加していた。そのひとりである中川秀直氏が中座しようとした時、渡辺氏は話を中断して「中川さん、待っているよ!」と演壇から声をかけた。だが中川氏は渡辺氏がつくろうとする政治集団には参加せず、懇親会に最後まで残っていた後藤田正純氏も、ついに自民党を離れることはなかった。
その後、渡辺氏は江田憲司氏らを誘ってみんなの党を立ち上げる。ホテルニューオータニで開かれた結党記者会見で、柿沢未途氏や田中甲氏ら参加者が紹介された時、彼らの顔はみなキラキラ光って見えた。
渡辺氏の掲げる明確な政策とわかりやすい口調、そして若さあふれる面々。この時のみんなの党は、台風の目になる可能性もあった。同年に行われた衆議院議員選挙で、ある自民党議員の秘書がこう言った。
「みんなの党は公明党にとって代わる可能性もある。実際にうちの選挙区では、比例票が公明票よりみんなの党のほうが多かった」
だが結末は周知の通りだ。柿沢氏が事実上追い出され、江田氏も渡辺氏のもとを去った。そしてみんなの党は14年11月に解党し、渡辺氏は同年12月の衆院選で落選。同時に、51年にわたって栃木に君臨した「渡辺王国」も崩壊した。
それまでに江口氏は何度も渡辺氏に進言した。一度はこれと見込んで活動を共にした政治家だ。みんなの党ももっと大きく発展してほしい。だが渡辺氏はそれを聞き入れなかった。心地よい言葉しか耳に入らなくなれば、リーダーは終わりである。