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江川紹子の「事件ウオッチ」第48回

刑事事件以上に「冤罪」を生みやすい「課徴金制度」 ようやく一石を投じる判決

文=江川紹子/ジャーナリスト

「よく事実を調べもせずに、私が重要事実を入手したと断定された。相次ぐ不祥事で金融庁を怒らせたので、急いで関係改善をするために誰か“人身御供”を差し出さなければというので、慌てて結論を出したのではないか」とAさんは憤る。

 インサイダー取引に関与したと認定されれば、金融・証券業界で営業員として働く資格を喪失し、再就職もままならない。妻に支えられてなんとか生活するどん底の状況。そんな中でも、弁護士をつけて解雇無効を求める裁判を起こしたのは、「なんとか名誉回復だけは果たしたい」一心からだったという。

当事者たちを“泣き寝入り”させる粗雑な審理

 今回の判決は、そもそも東電公募増資に関する情報が野村証券内部でAさんに伝わったとは認められないとし、「その結果、AさんがBさん及びX証券に対して、重要事実を伝達した旨の事実も認められないことになるから、SESCの勧告は、その根拠となる事実の重要部分が真実であると認められない」と判示している。その勧告に従って出された審判結果にも、当然大きな疑問符がつくことになる。

 Bさんも、「Aさんから重要情報を伝えられたことはない」として、課徴金納付命令の取り消しを求める行政訴訟を起こしている。「私とAさんだけがスケープゴートにされた。課徴金は払えない額ではないが、濡れ衣を晴らさないまま人生を送るのは、自分の中で許せなかった」という。

 課徴金は6万円。裁判にかかる経済的負担は、それよりはるかに大きい。準備などに時間を費やし、精神的負担もある。金融関係の仕事はできなくなったので、すでに別の仕事を始めており、裁判に勝っても仕事のうえでのメリットもない。

「それでも、とにかく名誉を回復したい」とBさんは意気込む。

 インサイダー取引規制に詳しい山中眞人弁護士は、「今回の判決は、野村証券内部でAさんに情報が漏れたことはないと言っているわけで、野村証券にとってはうれしい話のはず。控訴したりせず、むしろ誤った認定をした金融庁に抗議をすべきでしょう」と言う。

 野村ホールディングスのグループ広報部は「個別事案につき、コメントは差し控えます」とのこと。金融庁も「まだ係争中なので、この件についてのコメントは差し控える」としている。

 実は、課徴金納付命令を出された人や企業が、その内容や審査の進め方に納得できず、不満を抱いているという話は、ほかにも何度も聞いた。ただ、課徴金は刑事罰ではなく、金額もそれほど高額ではないことが多いため、弁護士を雇って裁判を起こす費用や労力を考えて受け入れるケースが多く、Bさんのように行政訴訟まで起こして争うケースは珍しい。本件でも、X証券は審判の途中まで争っていたものの方針を転換し、課徴金の支払いに応じた。

 以前、別のケースでSESCの勧告を受け、審判で課徴金の納付命令を受けた個人の代理人となった経験のある小松正和弁護士は、こう言う。

「今でも(納付命令は)まったく納得できない。裁判をやれば勝つ可能性が大きいと思ったが、裁判になれば年単位で時間がかかる。本人は『道を歩いていて事故にあったと思うことにした』と、泣く泣く断念した。時間的、経済的、精神的負担を考えれば、当事者は泣き寝入りをすることが合理的な判断という状況だ。SESCの調査では、刑事事件の取り調べと違って黙秘権の告知もない。刑事裁判の場合は、裁判所と検察庁は別組織だが、審判官と指定職員は同じ組織の別部署という感じの近い関係。そういう中で、当事者は納得できなくても泣き寝入りすることを前提に、課徴金納付命令ありきの粗雑な審理が行われている」

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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