東京電力の公募増資に関する情報を漏らしてインサイダー取引に加担したとして、懲戒解雇された野村証券の元営業員の男性が同社を相手取って訴えていた裁判で東京地裁は、男性が重要情報を漏らしたとは言えないとして解雇を無効とする判決を下した。要するに、インサイダー取引ではなかったという判断だ。このインサイダー事件は、業界最大手の野村証券の情報管理の甘さが大きな社会問題となるなか、証券取引等監視委員会(SESC)が、米国の証券取引委員会(SEC)に協力を依頼し、初めてインサイダーで海外金融機関への課徴金を勧告して話題になった。しかし今回の判決は、「本件勧告は、その根拠となる事実の重要部分が真実であると認められず」と判示しており、SESCの調査・勧告や金融庁による審査のあり方に、一石を投じるものとなった。
インサイダー疑惑浮上も、「大山鳴動して鼠一匹」
本件インサイダー疑惑が表沙汰になったのは、2012年6月。SESCがSECに協力依頼をしたことが明らかになり、X証券らについての勧告が出されるなど、連日のように報道された。野村証券は東電以外にも、国際石油開発帝石(INPEX)、みずほフィナンシャルグループの公募増資の主幹事を務め、インサイダー疑惑が持ち上がり批判にさらされた。その後、野村ホールディングスの最高経営責任者(CEO)が退任に追い込まれ、金融庁は野村証券に対して業務改善命令の行政処分を行った。
そんな最中にAさんは会社から突然、懲戒解雇された。SESCが東電公募増資に関する増資インサイダーで勧告を行って3週間後。それが報じられ、会社の名誉や威信が傷つけられたという理由だった。解雇通告は、Aさんには「まったく寝耳に水だった」という。それまで、SESCや会社がつくった第三者委員会の調査に呼ばれて事情を聞かれることはあったが、多くの社員が同じ経験をしており、自分に何かの疑いがかけられているとは思いもしなかったようだ。
裁判での会社側の主張やSESCの勧告などによると、会社側が認定したAさんの“罪”は次のようなものだ。
東電の公募増資は10年9月29日に公表されたが、野村証券で海外の機関投資家を対象にした営業活動を行う部門に配属されていた営業員のAさんは、社内のアナリストと同僚から東電の増資が決定したという重要情報を得て、日頃から意見交換をしていた社外の金融コンサルタントのBさんに知らせた。その重要情報をもとにBさんは東電株を200株売った。さらにBさんはアメリカに本社のあるX証券のCさんに伝え、同社が東電株3万5000株を売った。SESCの勧告を受け、金融庁はBさんに6万円、X証券に1468万円の課徴金納付命令を出した。Aさんの情報伝達がインサイダー取引を招いたという位置づけだ。
一方、Aさんは「私は重要情報を得たことはなく、営業マンの誰もがやっていたことをやっただけだ」と主張する。第三者委員会などの調査でも、アナリストがAさんに情報を伝えたと断じる証拠は出ていなかった。
しかも、東電の公募増資は、発表のだいぶ前から業界の噂になっていて、株価は9月初め頃から下がり始めていた。増資をしても会社の利益が変わらなければ、一株当たりの利益が減るため、増資をすると株価が下がることが多い。株価の下落は、増資を見越して早めに売る投資家がたくさんいたことを推測させる。増資が公表されて、株価がさらに下がった後に買い戻せば、その差額が利益となるからだ。同月半ばには、東電株は急落。噂が噂を呼んで早めに売っている人だけでなく、大口の機関投資家に増資に関する情報があらかじめ伝えられていた可能性も考えられる状況だった。ところが、SESCの勧告がなされたのは、株価に影響を与えるほどの規模ではないBさんルートのみ。まさに「大山鳴動して鼠一匹」の感があった。