安倍晋三首相と黒田東彦日銀総裁に“神風”が吹いた――。
日本時間6月24日に開票作業が行われた英国のEU(欧州連合)離脱是非を決める国民投票の結果は、予想外に離脱賛成派の勝利に終わった。事前の予想が「残留」に傾いていただけに、その衝撃は大きく、結果判明時に世界の主な市場で開いていたのは東京市場だったことから、大津波が襲った。日経平均株価は1000円を超える下落、外国為替相場は1ドル=100円を割り込む円高となった。
安倍首相は5月下旬に開催されたG7(先進7カ国)首脳会議(伊勢志摩サミット)で、「世界経済はリーマンショック前に似ている」との景気認識を示し、各国による財政政策の強化を呼びかけ、失笑を買った。
しかし、アベノミクスの唯一の成果ともいうべき「円安・株高」がピークを過ぎたなか、安倍首相は7月の参院選を前にサミットの場でリーダーシップを発揮し、財政政策強化の合意を取り付け、点数を稼ぎたかった。その背景には、日本の為替・株価対策の手足が縛られていたことがある。
各国で通貨安競争に走るのを回避しようという抑制が働き、特に米国は為替動向にナーバスになっていた。4月29日、米財務省が半年ごとに議会に提出する為替報告書には、今年成立した不公平な外国為替慣行への対処に関する条項により新たに設けられた監視国として、日本、中国、韓国、台湾、ドイツの5カ国・地域が対象に取り上げられた。
麻生太郎財務相などが「必要に応じて対応する」と円高の動きを牽制しようが、円安誘導のためのドル買い・円売り介入はできない、と高を括った投資家は平然と円買いを行っていた。
金融政策も袋小路
一方で、日銀の金融政策も袋小路に入っていた。2月に導入したマイナス金利政策はさまざまな軋轢を引き起こした。特に、マイナス金利の影響を直接的受ける銀行界との関係は歪んだ。収益面での悪影響を見越し、メガバンクは早々に「ベアを行わない」ことを宣言。三菱東京UFJ銀行は、「損失の発生しかねない国債の引き受けは、ステークホルダーの信頼を裏切る」とし、国債引き受けの主要なメンバーにのみ与えられる「国債市場特別参加者(プライマリー・ディーラー)」の資格を返上した。
住宅ローン金利は低下する一方で、運用難から生命保険の保険料などが引き上げられ、年金商品などの販売を停止する動きまで起きた。それでも、黒田総裁は「マイナス金利の効果は出ている」と強弁を繰り返した。
しかし、下落を続ける株価対策として市場から追加金融緩和の声が上がっても、黒田総裁は「金融緩和が必要な状況では、躊躇なく行う」と答えるのみで、実際に追加金融緩和は実施されていない。
6月20日、慶應義塾大学経済学部で講演を行った黒田総裁は、2%物価上昇目標について「2年程度で実現できなかった」と初めて敗北宣言した。2年という期限については、「5年先なのか、10年先なのか、時期を定めないと政策は決まらないからだ」と説明した。つまり、2%にも2年にも理論的な裏付けはなく、“努力目標”だったことが明らかになった。対マスコミには強弁を振るってお茶を濁す黒田総裁も、学生に嘘はつけなかったのか。
遠のく財政再建
こうした状況にあっても、参院選に向けて安倍首相には「消費税率10%への引き上げ再延期」という切り札があった。経済状況からみれば、消費税率引き上げの再延期を打ち出しても、反対は少ないという点は見えていた。それでも、公約違反であることに変わりはなく、さらには消費税率の引き上げを再延期することで、「国際公約となっている2020年度のプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化」が達成できなくなることは明らかだ。
加えて、財政健全化のために赤字国債を発行しないという方針を貫こうとすれば、景気対策の財源問題が発生する。サミットでは、財政政策の強化を先進国で共有するという目的を達成できずに終わっている。円高が進行するなかで、17年3月期の企業の業績予想は思わしくないものが目立っている。消費税率引き上げの再延期をしたからといって、景気が回復し、円安・株高が実現するわけではない。円安・株高のための対策を打つ必要があったが、為替・株価対策は手足を縛られた状態だった。
そこに神風が吹いた。英国のEU離脱は、経済的にみればまさしくリーマンショック級だった。政府と日銀は対応のため、6月27日と29日に緊急連絡会合を行った。安倍首相は「為替市場を含む金融市場の動きに、引き続き細心の注意を払っていただきたい」と指示、日本経済への影響が広がらないよう「政策を総動員する」と強調した。
英国のEU離脱のショックで、政府・日銀はフリーハンドで対策を行う“免罪符”を得たようなものだ。今後は、1ドル=100円割れの状況が続くようであれば、為替介入が行われる可能性が高まった。日銀は7月の金融政策決定会合で追加金融緩和を実施する可能性がある。また、政府は予算規模を拡大して経済対策を打ち出してくるだろう。
実行者は後始末に責任を持たない
さて、ここでひとつの疑問が湧きあがる。消費税率10%引き上げの再延期、異次元緩和からマイナス金利政策を導入しての3次元緩和という未曾有の金融緩和策、これらが経済状況に対応して実施されたものだとして、その後始末は一体どうなるのか、という点だ。
消費税率10%への引き上げは19年10月。安倍首相の任期は18年9月だから、消費税率の再引き上げに安倍首相は“我関せず”の立場となる。黒田総裁の任期は18年4月で、残り2年を切った。残り2年で2%物価上昇目標が達成され、マイナス金利政策が終わり、異次元緩和の出口戦略が行われているなどとは、誰も思わないだろう。
まして、19年10月には消費税率10%への引き上げが待っている。14年4月に消費税率を現行の8%に引き上げた時、消費に与えた悪影響がどれだけ甚大だったかを考えれば、消費税率10%への引き上げに向け、景気対策や金融緩和を実施することはあっても、縮小することはないだろう。しかし、薬は強ければ強いほど副作用が出る。この後始末に、当事者の安倍首相と黒田総裁は責任を持たなくともよいのだ。
自民党内には、総裁任期を現在の「2期6年」から「3期9年」に延長し、安倍首相の続投を図ろうという声もある。しかし、この任期延長は安倍首相の執念ともいうべき「憲法改正」に使われることになるだろう。
日銀内部にも、黒田総裁の再任・続投の声がある。未曾有の金融緩和の後始末を黒田総裁は責任を持って行うべきだとの声だ。だが、長い日銀の歴史のなかでも、総裁を2度経験しているのは2人しかいない。いずれも、戦中戦後の時期だ。黒田総裁の再任はないと見るのが順当だろう。
結局、経済政策は実行者が後始末をすることなく表舞台を去り、後任者が責任を取らされるのがお決まりのパターンなのだろうか。
(文=鷲尾香一/ジャーナリスト)