北方領土問題解決を謳ったプーチン露大統領との首脳会談(2016年12月15、16両日)で、安倍晋三首相はプーチン大統領に「一本負け」したが、その陰で元島民たちはコケにされた――。
15日は山口県長門市の温泉、2日目は首相官邸で行われたトップ会談を終えての共同会見で、安倍首相は「戦後71年、平和条約が締結されていない異常な状態に私の世代で終結させなくてはならない。その決意を(大統領と)確認し、4島でのロシア法でも日本法でもない特別な制度での共同経済事業」を行うことなどを宣言にしたが、返還の「へ」の字も出なかった。
多弁だったプーチン大統領も返還については、「(日ソ共同宣言には)歯舞、色丹をどのようなかたちで引き渡すか明確にされていない」などとしただけ。民進党の蓮舫代表は「引き分けどころか安倍総理の一本負け」とバッサリ。政権内部でも「国民の大半はがっかりしていることを心に刻んでおく必要がある。(領土交渉が)そう甘いものでないことを思い知ったのでは」(二階俊博自民党幹事長)など、異例の苦言が出る始末に元島民らの失望は強い。
根室市の武隈聡さん(73)は「今回こそと信じていたが、歯舞、色丹すら駄目だとはがっかり。経済協力が最初の一歩というなら(領土問題は)いつ解決するのか」と話した。色丹島出身の得能宏さん(83)は「持ち上げておいてドスンと落とされた感じ。2島なら帰ってくるように言っていたマスコミにも責任があるよ」と話した。
国後島出身で千島歯舞居住者連盟の脇紀美夫理事長(75)は「領土問題は前進していない。スタート地点で隔たりがある。共同経済活動は日本の主権を冒さないのか。元島民の財産権などに配慮できるのか」と懸念。歯舞群島、多楽島出身で同連盟副理事長の河田弘登志さん(80)は「主権問題を解決できないで経済活動を先行するのは、いかがなものか」と厳しい表情。国後島出身で同連盟根室支部長の宮谷内亮一さん(73)は、「目に見える結果はない。先送りは残念」と話した。
日ソ共同宣言を履き違えた安倍首相
実は「北方領土」という言葉は、戦後すぐ存在したのではない。外務省がこの言葉を周知させたのは1964年。国会で「4島一括返還」が使われたのも75年からだ。
戦前、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島に暮らした約1万6000人の日本人は45年夏のソ連軍侵攻で、多くが根室町(現在の根室市)に逃げた。