名作オペラ『蝶々夫人』、実は人種差別・女性蔑視の物語…作曲家が本当に訴えたいこととは?
僕が音楽の都、オーストリアの首都ウィーンに留学していた頃の話です。当地は、僕の想像をはるかに超えた音楽の都で、たとえば世界三大歌劇場のひとつであるウィーン国立歌劇場では、オペラ公演を9月から翌年の6月まで毎晩、聴くことができました。当時は「世界三大テノール」と呼ばれた、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスも頻繁にやって来て出演し、今から考えると夢のような時間でした。
そんなある日、歌劇場の壁にたくさん貼ってあるポスターを順番に眺めていると、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』がありました。主役の名前を見ていると、なんと当時、日本を代表するプリマドンナでソプラノ歌手の佐藤しのぶさんが主役の蝶々さんを歌うとのことで、驚きで体が止まってしまいました。
『蝶々夫人』は、イタリア人オペラ作曲家の巨匠、ジャコモ・プッチーニの代表作のひとつで、今もなお世界中で大人気のオペラです。開国間もない日本の長崎を舞台にしているので、主役の蝶々さんをはじめとして、多くの出演者は着物を着ていますし、舞台は畳敷きの日本家屋です。そんななか、外国人歌手が演じる蝶々さんの着物姿での立ち居振る舞いはどこか違っていて、どれだけ歌が上手くても、超有名な世界的な歌手であっても、ガニ股で歩く蝶々さんを見ると、日本人の僕はあっという間に興ざめしてしまうのです。僕は正月くらいしか着物を着ることがない日本人ですが、知らず知らずのうちに着物姿の女性に対するイメージができていたのでしょう。
佐藤さん演じる蝶々さんは、立ち居振る舞いもしっかりと練り上げられており、嫁入りのシーンから最後の自害のシーンまで、日本人の僕にも日本の美をしっかりと堪能させてくれました。
そんな佐藤さんが、まだまだこれからの活動を期待されながら昨年の9月、61歳の若さでこの世を去られたニュースは、日本中のオペラファンを悲しませました。若い頃から、ベテラン歌手が脱帽するほど誰よりもリハーサル会場に早くやって来て発声練習をし、最初のリハーサルから完璧に役を歌いこなしていたそうです。彼女は豊かな才能だけでなく、努力の人だったのです。ウィーンでの佐藤さんの蝶々さんも、日本の美の表現とイタリア語の歌唱力の両方で、常に世界最高峰の公演を鑑賞している観客も大喝采していました。もちろん僕も、「ブラボー」を叫んだひとりです。
『蝶々夫人』は人種差別のオペラ
ところで、プッチーニの『蝶々夫人』は、単刀直入に言ってしまえば人種差別の話です。アメリカ人劇作家、ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を基にしており、舞台は1904(明治37)年の長崎です。長崎港に派遣されてきたアメリカ海軍士官のピンカートンが、大村藩の没落藩士令嬢である15歳の少女、蝶々さんを紹介されて結婚します。ピンカートンが長崎に駐在している3年間は、蝶々さんにとっては幸せな結婚生活の時間でした。2人は子供をもうけますが、その後、ピンカートンはアメリカに帰国してしまい、アメリカ人の奥さんと正式に結婚してしまうのです。
つまり、蝶々さんは“結婚斡旋屋”によって騙されてアメリカ人の日本での現地妻とされ、子供まで生んだ挙句に捨てられてしまうというストーリーです。そして数年後、「まさか、待っていることはないだろう」と、気楽にアメリカ人の新妻と長崎に立ち寄ったピンカートンの前で自害をしてしまうという、ひどい話です。しかし、プッチーニの美しい音楽がそれを忘れさせ、蝶々さんの儚くも短い人生に涙が止まらなくなります。
一方で、日本人の僕は、やはりどこか引っかかってしまいます。
最近、アメリカでは人種差別問題が噴出し、ヨーロッパまで反対運動が広まっています。実は、18、19世紀に大発展した芸術であるオペラには、現在ではありえない物語が多いのです。まずは女性差別がひどいです。あのモーツァルトでさえ、オペラ『女はみんなこうしたもの』のなかでは、2組の婚約者カップルの男性側が賭けをして、お互いの婚約者女性を口説いてモノにした挙句、最後に「女はみんなこうしたもの」と歌い上げる場面もあります。女性にとってはたまったものではありません。
人種差別もひどいもので、最高傑作『魔笛』では、白人は善、黒人は悪に仕立て上げられています。しかも、その黒人の召使はアリアのなかで「俺だけはだめだよ。この黒い肌で醜い姿だ。だけど俺にも心もあるし、血も流れている」などと、今のアメリカでこんなことを言ったら大変なことになるような歌詞を歌うのです。とはいえ、モーツァルトのつくった歌詞を変えることはできないので、どこの歌劇場も、観客も、目をつぶっているのです。
プッチーニが人種差別、女性蔑視をテーマにした理由
『蝶々夫人』に話を戻し、士族階級の蝶々さんが15歳で人身売買のような結婚をさせられた原因には、明治維新がありました。それまでの江戸時代には、武士は秩禄をもらうという既得権益を代々守りながら生活をしていましたが、1876(明治9)年、明治新政府は国家予算の3割にもあたる秩禄を廃止し、その代わりに金禄公債として、これまでの俸禄の5年から14年分を武士に与えることになりました。
つまり、退職金のようなものを与えられてリストラさせられてしまったのです。しかし、江戸250年間、武士であるというだけで、なんの不安もなく生きてきたわけなので、公債を使い果たしてしまった1890年代あたりから生活が困ってくる家も出てきます。そんな時代に士族の家に生まれた蝶々さんは、15歳になり、お金目当ての結婚をさせられてしまうのです。それでも、最初から現地妻にするつもりだけのピンカートンとの生活に、蝶々さんは儚い幸せを感じていたことも含めて考えれば、このオペラの悲しさが心に沁みてきます。
このあたりの時代背景を、イタリア人作曲家のプッチーニが知っていたかどうかはわかりません。しかし、プッチーニは駐イタリア日本大使夫人から日本の歌を熱心に教えてもらっていたそうで、その際に当時の日本の状況について、特に今作曲中のオペラに関することを尋ねていたと考えるほうが自然です。しかも、当時の日本人に同情していたのか、オペラのなかでは、日本とアメリカの差をはっきりとつけています。『さくら』や『君が代』をはじめ、『越後獅子』などたくさんの日本の歌が入っているのに比べて、アメリカ音楽は「アメリカ国歌」のワンフレーズのみなのです。
確かに、『蝶々夫人』は人種差別、女性蔑視のオペラです。しかし最後にプッチーニは、ピンカートンに「蝶々さん」と、後悔と深い懺悔の気持ちを叫ばせてオペラを終わらせます。プッチーニはその美しい音楽が特徴ですが、作曲したオペラの内容は、アメリカに売られていく女性、結核で死んでいく儚い女性、イタリアの恐怖政治に人生を翻弄された女性、許されぬ恋で修道院に送られた女性など、女性の儚い幸せと悲劇をテーマにしながら、当時の弱者の社会問題に切り込んでいた作曲家だったのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)