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江川紹子の「事件ウオッチ」第72回

【MX「ニュース女子」問題】で謝罪した東京新聞 曖昧な反省ではなく事実の検証を

文=江川紹子/ジャーナリスト

 番組放送後、同紙は2ページにわたる特報面など、この番組について、何度か批判的に報じた。しかし、佐藤さんがコラムで書くまで、同紙の記事は司会者が自社の論説副主幹であるという“不都合な真実”を明らかにしてはいない。長谷川氏を取材して、その姿勢を報じたり、批判の対象にしたりすることもなかった。そのうえ、謝罪をするに至っても、肝腎の長谷川氏が何をし、何を考えているのかが、まったく不明のままだ。

 謝罪文が掲載された日の投書欄には、榎本哲也・読者部長のお詫び文も掲載されている。そこには「新聞は、事実に基づいて、本当のことを伝えるのが使命です」とある。

 ならば、まずは先に挙げたような事柄について、長谷川氏の見解を問いただし、それをきちんと伝えてもらいたい。彼にも言い分はあるだろう。その時に、東京新聞の社論と違うことが語られてもいいではないか。社論は社論として展開すればいい。深田論説主幹と長谷川氏との対論を掲載するというやり方もある。もし、長谷川氏が回答を拒むようなら、その事実を伝える。それによって、彼の事実への向き合い方、情報の発信者としての基本姿勢が、読者の目にも明らかになるだろう。

 今や、アメリカでは大統領をはじめ政府高官や報道官が、平気で事実とは異なる情報を流布する時代になってしまった。その対応を見ていると、嘘がばれても“alternative fact(もうひとつの事実、代替事実)”などと言いかえ、てんとして恥じず、虚偽を流布したことに罪の意識を感じている様子もない。

 それは、事実かどうかより、好き嫌いなど人々の「思い」に働きかける情報が力を持つようになっているからだろう。その風潮に乗じ、人々の「思い」にフィットするさまざまなフェイク(いかさま)ニュースが出回る。

 今回の一件は、そうした情報が、日本でも地上波のテレビ局にまで進出してきていることを示している。

 民主主義は人々が正確な情報に基づいて判断してこそ健全に機能する。虚偽の情報が出回り、人々の政治的判断の形成過程への影響を与える事態は、民主主義にとって大きな懸念材料だ。

 だからこそ、メディアや発信者が、事実にいかなる姿勢で向き合っているかは、重要な情報でもある。事実より主張や「思い」が優先する人の発信には、一定の警戒が必要だろう。東京新聞は、この際、自身が「思い」優先になっていないかも含めて、今回の問題をちゃんと検証してみてほしい。

【追記】
 私が本稿を出稿後、長谷川幸洋氏はラジオ番組に出演。問題のMXテレビの番組について「コメントすることは差し控えたい」とする一方、東京新聞については、「『ニュース女子』と東京新聞はまったく関係ない。なぜ深く反省するのか」と批判し、「(主張の)違いを理由に私を処分するのは言論の自由に対する侵害」「意見が違うことで排除したら北朝鮮と一緒」と牽制したという。

 なぜ、彼は番組について語らないのだろうか。

 また、今回は「主張の違い」が主たる問題ではないし、「言論の自由」を言うのであれば、その言論をなす者の「責任」も考えなければならない。今はまさに、事実経過や自身の見解を語ることで、その「責任」を果たすべき時ではないのか。

 東京新聞は、長谷川氏がテレビや雑誌、ネットなど自社媒体で活躍し、社論と異なる主張を展開するのを、許容してきた。長谷川氏は、少なくとも他メディアで活動を始める時には、東京新聞論説副主幹の看板が役に立ったのではないか。それを、北朝鮮よばわりはないだろう。

 そこまで言うなら、東京新聞の看板は自ら外し、言論活動にかかわる負担や責任のすべてを自身で負う一言論人として活動されたらどうか。そのほうが、両者にとって幸せだし、読者・視聴者もわかりやすいような気がする。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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