観れば観るたびに、おもしろさと深みが増す映画というものがある。前回気づかなかった点が、観賞を重ねるたびに理解できてくるということもある。上映環境やその時の心理状況で、観え方が大きく左右される部分もあるのだろう。
試写会というものに初めて行ってきた。筆者が監修した映画『ヤクザと家族 The Family』(来年1月29日公開/藤井道人監督)のものだ。それまでの同作の試写会で、数多くの関係者が号泣していたことは聞いていたし、作品自体、私は何度も観てきていた。そのため、ストーリーも映像もすべて頭の中に入っていた。だが、スクリーンで初めて観る『ヤクザと家族』に、私は圧倒されてしまっていた。初めて出会う作品のような錯覚すら覚えたのだった。そして、私自身がスクリーンに映し出されたときは、「あっ、オレか……」と、なんだか不思議な気分になっていたのであった。
タイトルに「ヤクザ」と入るために、誰しもが切った張ったの任侠ものを連想させるのではないだろうか。確かに、綾野剛演じる主人公はヤクザの組員だ。しかし、ヤクザの世界を軸にしたヤクザ映画かといえば、そうではない。言葉は悪いが、これまでのヤクザ映画の世界観がちっぽけに感じてしまうほど、この作品には“リアル”が存在している。ヤクザといっても人間だ。特別な存在ではない。だからこそ、そこには誰しもが感じる喜怒哀楽や、愛すべき人、守るべき人、対立する人などとの人間模様が存在するのだ。
私はこの作品に携わることになってから、脚本に描かれた主人公に自分自身が投影されているように思えて仕方がなかった。それだけに、出来上がって映像を見ていても、何度も胸が苦しくなった。
実際、私は執筆やテレビ出演などの際に、元ヤクザという肩書きを使うのが嫌で嫌で仕方がなかった。それは今も変わらない。だからといって、ヤクザの道を選んだことに後悔しているかといえば、それは違う。良くも悪くも自分で決めたことだ。そこだけは否定したくない。
罪深き業(ごう)を背負う覚悟で、自らヤクザ渡世へと入った。それでも自ら選んだ道とは言え、言葉にできない想いはずっと抱えている。カタギになって一生懸命に生きようとすればするほど、そうした過去が影響してくるという現実に苦しさだって募る。それは誰のせいでもない。ヤクザという世界に入った私のせいなのだ。
そういったヤクザたちの心理を含めて、生活のディテールから大局的な社会の流れまで、この作品の中には詰め込まれていて、決して現実離れすることなく、どこまでもリアルさが追及されているのである。ここまで、ヤクザを社会の中の一員として、ひとりの人間として描き出した、昨今の時代背景に沿った作品を私は観たことがない。
何度も泣ける。いや何度も泣かされる。エンドロールが流れて、私の名前がクレジットで下りてきた時、この映画に携われたことを誇りに感じていた。同時に、ヤクザであった過去がこうした形で報われ、今の自分の存在に繋がっていると気づかされたのだった。
とにかく劇場で、多くの人にこの作品を体感してほしい。あまり勝手なことは言えないが、この作品に携わったおかげで、違う映画の監修もすでに決まっている。取材協力として加わった大型連続ドラマの仕事もやり終えている。そして、詳しいことはまだまだいえないが、地上波の連続ドラマの原作も決定している。
いろいろな意味で、この映画は私にチャンスを与えてくれた。生きていくということは、楽しいことばかりではない。今だっていろいろな苦悩を抱えながら暮らしている。どれだけ頑張っても報われないこのだって世の中には存在する。
それでも、決してこの世の中に押しつぶされることなく頑張り抜いてやろうと、試写会の帰り道、暗闇がかった秋空を見上げて強く思ったのだった。
(文=沖田臥竜/作家)
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