日本は人口減少社会に突入し、空き地は急増している。他方で東京都心部は過密化や高層化が進み、ソメイヨシノを植えられるようなスペースの余裕はない。そのほか、道路の拡幅や上下水道・ガス管の工事でもソメイヨシノは邪魔物扱いされやすい。さらに小池都政では無電柱化を推進しているが、無電柱化では電線類を地中に埋設するので、根を広く張るソメイヨシノは大敵中の大敵とされる。都市化した東京で、ソメイヨシノと共存することは難しいのだ。
街路に植えられるソメイヨシノが保守・管理の問題から少しずつ姿を消そうとしているのと同様に、学校の校庭でも同様の異変が起きている。学校の場合、ソメイヨシノは校庭の隅に植えられるが、花びらは風に飛ばされて隣接した道路に散る。その花びらを放置すれば、自転車のスリップ事故などが起きる可能性が高くなる。責任問題になるため、行政はこれらを放置できず事故防止の観点から頻繁な清掃が求められる。清掃の費用は自治体や学校が負担することになるが、それが行財政を圧迫する。
また、学校という特殊な事情もある。校庭では児童や生徒が走り回る。それらの踏圧によってソメイヨシノの根は傷み、短命化が加速する。ますます植え替えサイクルは短くなり、メンテナンス費用も含めてコストはかさむ。
東京五輪とソメイヨシノ
踏圧によってソメイヨシノが短命化しているのは、公園でも同様だ。今般、行政の懐事情は厳しくなるばかり。行政は街の緑化を奨励しているが、それはあくまでも低コスト・省力化が前提になっている。これはソメイヨシノに限らず、すべての緑にあてはまる。ある公園関係者は、こう話す。
「行政は街路や公園などに植える木や花について、コストパフォーマンスを重視する傾向が強くなっています。花や緑は街に潤いと憩いを与えると多くの住民は理解を示してくれますが、落ち葉で家の玄関口が汚れる、害虫被害などの苦情も絶えません。また、街路樹は事故を引き起こす要因になる場合もあります。だから行政は事故に神経を尖らせています。
悩ましいのは、街路樹の清掃コストです。清掃回数を減らせば、管理コストは下がりますが、清掃を怠れば落ち葉によってスリップ事故が起きやすくなります。事故が起きたら責任を問われますので、最近は落ち葉が少ない樹木を街路に植えるようになっています。また、枝を広く張る樹種もドライバーの視界を悪くし事故を招くといった苦情が多くありますので、植え替えが推進されています」
こうなると、もはや街に緑は不必要なのではないかという疑問も出てくるだろう。実際、東京オリンピックの関連工事を口実に、街路樹を軒並み伐採してしまう事例も出ている。
そして、満開に咲いたソメイヨシノには多くの人が集まるため、問題も多い。ソメイヨシノ目当てに多くの人が集まれば混雑が起き、万引きや事故を誘発する。ゴミの問題もある。こうした問題も、ソメイヨシノが消える一因でもある。
3年後には、東京五輪が開催される。現在、東京のいたるところで工事が進められているが、一連の工事でソメイヨシノが伐採されてしまう可能性は否定できない。今のところ、脱ソメイヨシノは東京だけで静かに進行しているが、東京からソメイヨシノが消えてしまえば、その余波は地方都市にも及ぶだろう。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)