英国とCIAが主導した1953年のイラン・クーデターで、親欧米派のパーレビ国王が王位に就く。デビッド氏は国王と個人的関係を結び、中東の銀行事業で大きな利益を得ていた。
ところが1979年初めのイラン革命で事態が一変する。パーレビ国王は暴動を逃れて出国するが、落ち着く先がない。カーター大統領はイラン側の報復を恐れ、米国への亡命受け入れを渋った。
デビッド氏はみずからをトップとする特別チームを結成し、国王の米国亡命を政府に要求する(前出『大統領を操るバンカーたち』下巻)。イラン国王を見捨てれば、中東の親米国に不信感が広がり、これまでの事業や人脈が無駄になりかねないと恐れたためだ。圧力が功を奏し、10月23日朝、国王はチャーター機でニューヨークに着く。
しかし、ここで恐れていたことが現実となる。米国の国王受け入れに憤ったイランの学生らが米国大使館を占拠し、職員ら52人を人質に取ったのである。拘留はカーター政権が終わるまでの444日間にわたって続いた。
イラン政府は、国王を送還しなければ米国の銀行から預金を引き揚げると脅しをかけた。しかし直後に米政府がイランの預金を凍結したことを理由に、デビッド氏のチェース銀行はイランへの貸付金と預金を相殺し、経営危機の引き金になりかねない預金引き揚げを免れる。
預金凍結に救われた形のデビッド氏は「チェース銀行には、凍結を実施するよう政府を説得する役を担った者はいない」と述べている。またデビッド氏は人質事件について「444日間の監禁は恐ろしい試練だ」としつつ、「そもそもアメリカ政府は脅しに屈するべきではなかった」と主張する。自分が実現させた国王亡命によって事件を引き起こしたことへの反省は見られない。
デビッド氏の行為は立派な陰謀
デビッド氏は回顧録で「“ポピュリスト”は陰謀の存在を信じている」と述べ、国際銀行家やその取り巻きからなる秘密組織が世界経済を支配しているという陰謀論を批判した。
しかし世界経済を支配したかどうかはともかく、デビッド氏が自分の利益を図るため、一般市民に見えないような形で政治に影響力を及ぼしたのは事実だ。陰謀が「ひそかにたくらむ悪事」(「goo国語辞書」より)だとすれば、デビッド氏の生前の行為は立派な陰謀、それもスケールの大きな国際陰謀だったといえるだろう。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)
◆参照文献(本文に記載したものを原則除く)
Rothbard, Murray (2011). Wall Street, Banks, and American Foreign Policy, Second edition, Mises Institute.